「拝まない者も拝まれている」1/7(火)
故東井義雄先生が残された
「拝まない者も拝まれている 拝まないときも拝まれている」
という珠玉の言葉は胸に響いてきます。
先生が峠を自転車で走りすぎる時、
うっかり手を合わせることを忘れてしまっても、
峠のお地蔵さんは黙って私を拝んで下さっていたことに
気づいて、ハッとされたそうです。
阿弥陀様も、私が手を合わせるよりも先に、
私を拝んで下さっており、仏が願わずとも、
大きな願いをかけて下さっているのですね。
阿弥陀様に拝まれ願われた私が、
その阿弥陀様の優しさに触れる時、
私も阿弥陀様に手を合わさずにはおれなくなるのです。
仏説無量寿経の中に「やさしくする」とは「敬愛する」こと。
「敬愛する」とは、お互いに拝みあうということと出てきます。
阿弥陀様の平等の救いを喜ぶ者同士は、
お互いに尊敬と信頼の念を持って「御同朋・御同行」と
拝み拝まれながら生きていきたいものです。
親鸞聖人も、同じ信心に生きる人々のことを
「御同朋・御同行」と敬意をこめて呼ばれ、
いつも手を合わせておられたのだと思います。
気持ちいいですね、拝みあう心が親子で育ちあうと。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

仏参中はみんな真剣に先生の話を聞いてます。
「拝まない者も拝まれている 拝まないときも拝まれている」
という珠玉の言葉は胸に響いてきます。
先生が峠を自転車で走りすぎる時、
うっかり手を合わせることを忘れてしまっても、
峠のお地蔵さんは黙って私を拝んで下さっていたことに
気づいて、ハッとされたそうです。
阿弥陀様も、私が手を合わせるよりも先に、
私を拝んで下さっており、仏が願わずとも、
大きな願いをかけて下さっているのですね。
阿弥陀様に拝まれ願われた私が、
その阿弥陀様の優しさに触れる時、
私も阿弥陀様に手を合わさずにはおれなくなるのです。
仏説無量寿経の中に「やさしくする」とは「敬愛する」こと。
「敬愛する」とは、お互いに拝みあうということと出てきます。
阿弥陀様の平等の救いを喜ぶ者同士は、
お互いに尊敬と信頼の念を持って「御同朋・御同行」と
拝み拝まれながら生きていきたいものです。
親鸞聖人も、同じ信心に生きる人々のことを
「御同朋・御同行」と敬意をこめて呼ばれ、
いつも手を合わせておられたのだと思います。
気持ちいいですね、拝みあう心が親子で育ちあうと。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

仏参中はみんな真剣に先生の話を聞いてます。