「上善は水の如し」3/4(火)
ナチュラルクリーンもポッキーの「すすきクリーニング」も、
仕事の開始時間は早朝5時。そこから少しずつテンション
を上げて「一日一生」の気持ちで、与えられた仕事に全力
を尽くす。それぞれのノルマを終えるまで一日の仕事は終
わらない。これがうちの当たり前の日課です。
だから葬儀終了早々ですが、本日から彼のところに彼の
ノルマ分のプレスの品物を送ることにしました。
「老子」の中に、「上善水の如し」という有名な言葉があります。
上善とは、最上の生き方のことですが、それは水のようなもの
だというわけです。
僕もまだまだ未熟者ですから、時には自分を周りの人より上
に見てもらいたいと焦ったり、人と接する時、いつの間にか自
分の方を上の優位なポジションにもってこうとする愚かさがあ
ります。
一方、水は自ら自然と低いところへと流れていくので、他と競
り合って競争することがない。自ら低いところへ身を置こうとす
るこの謙虚さと、どんな形にも変化する柔軟さが水の特徴であ
り、それこそが人間の最上の生き方なんだよって、老子は教え
てくれています。
つまり、水の特性を人間に置き換えると、謙虚さがあるかどう
かということです。常に自分を省みることができ、人間として成
長していこうとしているのかどうかってことですね。
じゃあ、この謙虚さの源はどこからくるかとううと、やはり「生か
していただいて ありがとうございます」という感謝の心からで
しょう。
自分一人の力で生きているんじゃない。ご縁ある多くの人たち
のお蔭で生かされているという感謝の心、目に見える見えない
ものにかかわらず自分を生かして下さっているものへ対する深
い感謝の心だと思います。
そして自分自身を愛する心。本当の自信です。自己肯定感、自
尊感情と言ってもいい。僕たちは、自分に自信がもてないと、才
能、地位、実績によって自分を飾ろうとします。ありのままの自
分ではダメだと思うから、自分を他人から認めてもらうための証
拠を集めたくなります。
そしていつの間にか、その証拠、才能や地位や名誉や実績です
が、これらと自分を同一視してしまいます。つまり、自分のアイデ
ンティティを、才能や地位や名誉や実績に置いてしまうんです。
だからこそ、自分の価値を証明するために才能、地位、名誉や実
績を得ることに必死になって、それらを手にすると「どうだ、すごい
だろう」と錯覚します。
ただ、この場合「才能、地位、名誉や実績を手に入れたからこそ、
自分には価値がある」という考えになってしまうので、まだそういう
ものを手に入れてない人を見ると、上から目線で見下げるようにな
って、謙虚とは程遠い、傲慢な人間になってしまいます。
ナイチンゲールが書の中で「人間は他からの賞賛を勝ち得ている
ときが、最も危険なときである」と語ってますが、本当にそうです。
一方、人生で大きな困難や逆境や試練に直面したとき、僕たちは
謙虚に謙虚になれるチャンスを与えられているわけです。それは、
順調にいってるときの有難さに感謝するチャンスであり、また、自
らの生き方を深く反省して人間として大きく成長するチャンスです。
僕自身そういうチャンスを57年の人生の間、何度も何度も与えら
れてきました。その時は有難いとは正直思えませんが、そういった
逆境を経験すればするほど、自分の傲慢さが少しずつ、少しずつ、
薄まって、逆に心の芯の部分が太く強くなっていったように感じて
います。そしてその都度自分へ対する自信は深まっていきます。
多分、そうやって頑張ってる自分を自分が好きになっていくからだ
ろうと思います。実践していないと、ちょっと無理かも。
4年半前ポッキーがこのナチュラルクリーンに来た時、実践のない
理想主義とまったくの世間音痴で体重が90キロ以上の肥満児だ
ったことを思い出します。
そしてあらためて喪主をつとめた昨日の葬儀の彼の写真を見ま
したが、引き締まった体や落ち着いた姿勢を見る限り、当時の彼
と比べると随分変わって成長したものだと嬉しくなりました。
少しずつですが、偽物の自信ではなく、本当の自信が身につい
てきている。それが彼のエネルギーからはっきり感じ取れます。
それぐらいこの場で密度の濃いい時間を過ごせたのだと思うし、
現在もうちの会社にいたときのリズムに合わせて早朝5時から
仕事スタートさせて、一人でも夜遅くまで頑張ってノルマのプレス
をしているので尚更だと思います。
また、今回はお父さんの死を通して、彼の中にある傲慢さがまた
薄まって、あらためて一家の大黒柱になって家族を支えていく腹
も括れ、心の芯は強く太くなっていくことでしょう。さらにまだまだ
実績は無くても、沢山の人に支えられて有難いと、感謝の心が
深まっていったことでしょう。
「上善は水の如し」。順調なときこそ謙虚になり、また、逆境に出
合っても謙虚になる。まだまだ未熟ですが、僕たちもまさに水のよ
生き方を目指していきたい。そのために自分の弱さから逃げない
日々を実践しているわけです。
さてと繁忙期・・・・うちの仕事の一部分を、ご家族全員でどこまで
受け切れるのか?どのぐらいのスピードて打ち返せるか?さあ、もう
すぐ始まるよ!あのお祭りのような賑やかな超ワクワクで躍動の毎
日が!

生かしていただいて ありがとうございます。
仕事の開始時間は早朝5時。そこから少しずつテンション
を上げて「一日一生」の気持ちで、与えられた仕事に全力
を尽くす。それぞれのノルマを終えるまで一日の仕事は終
わらない。これがうちの当たり前の日課です。
だから葬儀終了早々ですが、本日から彼のところに彼の
ノルマ分のプレスの品物を送ることにしました。
「老子」の中に、「上善水の如し」という有名な言葉があります。
上善とは、最上の生き方のことですが、それは水のようなもの
だというわけです。
僕もまだまだ未熟者ですから、時には自分を周りの人より上
に見てもらいたいと焦ったり、人と接する時、いつの間にか自
分の方を上の優位なポジションにもってこうとする愚かさがあ
ります。
一方、水は自ら自然と低いところへと流れていくので、他と競
り合って競争することがない。自ら低いところへ身を置こうとす
るこの謙虚さと、どんな形にも変化する柔軟さが水の特徴であ
り、それこそが人間の最上の生き方なんだよって、老子は教え
てくれています。
つまり、水の特性を人間に置き換えると、謙虚さがあるかどう
かということです。常に自分を省みることができ、人間として成
長していこうとしているのかどうかってことですね。
じゃあ、この謙虚さの源はどこからくるかとううと、やはり「生か
していただいて ありがとうございます」という感謝の心からで
しょう。
自分一人の力で生きているんじゃない。ご縁ある多くの人たち
のお蔭で生かされているという感謝の心、目に見える見えない
ものにかかわらず自分を生かして下さっているものへ対する深
い感謝の心だと思います。
そして自分自身を愛する心。本当の自信です。自己肯定感、自
尊感情と言ってもいい。僕たちは、自分に自信がもてないと、才
能、地位、実績によって自分を飾ろうとします。ありのままの自
分ではダメだと思うから、自分を他人から認めてもらうための証
拠を集めたくなります。
そしていつの間にか、その証拠、才能や地位や名誉や実績です
が、これらと自分を同一視してしまいます。つまり、自分のアイデ
ンティティを、才能や地位や名誉や実績に置いてしまうんです。
だからこそ、自分の価値を証明するために才能、地位、名誉や実
績を得ることに必死になって、それらを手にすると「どうだ、すごい
だろう」と錯覚します。
ただ、この場合「才能、地位、名誉や実績を手に入れたからこそ、
自分には価値がある」という考えになってしまうので、まだそういう
ものを手に入れてない人を見ると、上から目線で見下げるようにな
って、謙虚とは程遠い、傲慢な人間になってしまいます。
ナイチンゲールが書の中で「人間は他からの賞賛を勝ち得ている
ときが、最も危険なときである」と語ってますが、本当にそうです。
一方、人生で大きな困難や逆境や試練に直面したとき、僕たちは
謙虚に謙虚になれるチャンスを与えられているわけです。それは、
順調にいってるときの有難さに感謝するチャンスであり、また、自
らの生き方を深く反省して人間として大きく成長するチャンスです。
僕自身そういうチャンスを57年の人生の間、何度も何度も与えら
れてきました。その時は有難いとは正直思えませんが、そういった
逆境を経験すればするほど、自分の傲慢さが少しずつ、少しずつ、
薄まって、逆に心の芯の部分が太く強くなっていったように感じて
います。そしてその都度自分へ対する自信は深まっていきます。
多分、そうやって頑張ってる自分を自分が好きになっていくからだ
ろうと思います。実践していないと、ちょっと無理かも。
4年半前ポッキーがこのナチュラルクリーンに来た時、実践のない
理想主義とまったくの世間音痴で体重が90キロ以上の肥満児だ
ったことを思い出します。
そしてあらためて喪主をつとめた昨日の葬儀の彼の写真を見ま
したが、引き締まった体や落ち着いた姿勢を見る限り、当時の彼
と比べると随分変わって成長したものだと嬉しくなりました。
少しずつですが、偽物の自信ではなく、本当の自信が身につい
てきている。それが彼のエネルギーからはっきり感じ取れます。
それぐらいこの場で密度の濃いい時間を過ごせたのだと思うし、
現在もうちの会社にいたときのリズムに合わせて早朝5時から
仕事スタートさせて、一人でも夜遅くまで頑張ってノルマのプレス
をしているので尚更だと思います。
また、今回はお父さんの死を通して、彼の中にある傲慢さがまた
薄まって、あらためて一家の大黒柱になって家族を支えていく腹
も括れ、心の芯は強く太くなっていくことでしょう。さらにまだまだ
実績は無くても、沢山の人に支えられて有難いと、感謝の心が
深まっていったことでしょう。
「上善は水の如し」。順調なときこそ謙虚になり、また、逆境に出
合っても謙虚になる。まだまだ未熟ですが、僕たちもまさに水のよ
生き方を目指していきたい。そのために自分の弱さから逃げない
日々を実践しているわけです。
さてと繁忙期・・・・うちの仕事の一部分を、ご家族全員でどこまで
受け切れるのか?どのぐらいのスピードて打ち返せるか?さあ、もう
すぐ始まるよ!あのお祭りのような賑やかな超ワクワクで躍動の毎
日が!

生かしていただいて ありがとうございます。
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