「あっ、という間」5/26(月)
洗い場にいると一日があっという間に過ぎ去っていきます。
次から次へと、よくもまああんなに洗う衣類があるものです。
ただ仕事をしながら思うのは、本当の自分というものは、
衣類を洗いながら走り回っている、そんなことを体験している
「流れ」ではないということです。
しかし、多くの人たちは、その流れ自体を自分だと思い込んで
錯覚しています。
その錯覚している自分がいろんなことに評価をつけたり、
妄想して見たり、傷ついたり、喜んだり、ふてったり、悲しんだり、
怒ったり・・・・。
本当の自分とは、心の中の素直な良心にあります。
だから、自分の肉体も含めて、見える流れ、環境が自分だと
思い込んではいけない。
それは、いろんな体験を提供してくれる場であり、その体験を通して
自身の心の中の素直で飾らない良心と出合うことにあります。
本当の自分は、心の中の素直な良心という絶対安心の場所にいます。
絶対安心の場所から、常に変化する流れを見ているのです。
生活や仕事の流れを体験しているのです。
このような「客観的視点」をもっ、いろんん出来事を眺めていくと、
いろんなことに執着したり、固執したりする必要がなくなっていきます。
それは、すべては「変わりゆく流れ」だといことを認識しているからです。
このような「流れ」を知った視点をもって仕事をしていると、
時間限定だからこそ、もっと一生懸命やろう、手を抜くまい、もっと楽しむぞ、
もっと思いっきり努力して挑戦しよう、さらには、もっと良いことをしておこう、
つまらないことを考えずに、枠を作らず、より自由に、自在に創造していきたい。
そして、すべてに感謝をしておこうと、思ったりするものです。
そうすると、本当に一日がアッと言う間に過ぎていく。
実に密度の濃いい自由度の高い時間を過ごせているのだと思います。
ということで、今日もしっかり本当の自分と共に
やり切った感があります。
そして、帰ったらグイッと。
これがたまらんのですよ。
生かしていただいて ありがとございます。
次から次へと、よくもまああんなに洗う衣類があるものです。
ただ仕事をしながら思うのは、本当の自分というものは、
衣類を洗いながら走り回っている、そんなことを体験している
「流れ」ではないということです。
しかし、多くの人たちは、その流れ自体を自分だと思い込んで
錯覚しています。
その錯覚している自分がいろんなことに評価をつけたり、
妄想して見たり、傷ついたり、喜んだり、ふてったり、悲しんだり、
怒ったり・・・・。
本当の自分とは、心の中の素直な良心にあります。
だから、自分の肉体も含めて、見える流れ、環境が自分だと
思い込んではいけない。
それは、いろんな体験を提供してくれる場であり、その体験を通して
自身の心の中の素直で飾らない良心と出合うことにあります。
本当の自分は、心の中の素直な良心という絶対安心の場所にいます。
絶対安心の場所から、常に変化する流れを見ているのです。
生活や仕事の流れを体験しているのです。
このような「客観的視点」をもっ、いろんん出来事を眺めていくと、
いろんなことに執着したり、固執したりする必要がなくなっていきます。
それは、すべては「変わりゆく流れ」だといことを認識しているからです。
このような「流れ」を知った視点をもって仕事をしていると、
時間限定だからこそ、もっと一生懸命やろう、手を抜くまい、もっと楽しむぞ、
もっと思いっきり努力して挑戦しよう、さらには、もっと良いことをしておこう、
つまらないことを考えずに、枠を作らず、より自由に、自在に創造していきたい。
そして、すべてに感謝をしておこうと、思ったりするものです。
そうすると、本当に一日がアッと言う間に過ぎていく。
実に密度の濃いい自由度の高い時間を過ごせているのだと思います。
ということで、今日もしっかり本当の自分と共に
やり切った感があります。
そして、帰ったらグイッと。
これがたまらんのですよ。
生かしていただいて ありがとございます。
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