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「明日は広島へ」1/25(土)
明日は祖母の25回忌で広島に帰ります。


私の祖母は鹿児島串木野市の生まれで
島津藩の家臣の娘でした。


祖母の父親の写真は当時としてはとても立派で
タキシードに山高帽に勲章をつけた姿で写って
います。


そのお嬢さんが、
実業家の祖父と結婚することによって、
今までとはまったく違った道を歩むことになります。


祖父は54歳の時、保険会社の代表取締役から身を引き、
自身の所有する田畑屋敷を全部売って、今のお寺を
購入し入寺します。当時の祖父の給料は600円(現在の500万)
だったそうです。よく捨てたねえ~~~この金額を。


そこに至るまでにはいろんな葛藤やいきさつがあったみたい
ですが、早稲田の政経を出て経済界で上り詰めて財を成したが
満たされるものは何もなかったと、家族には言ってました。


哲学的な思考の強い祖父は親鸞の平等思想に憧れ、
求道者の一人として得度を受け、浄土真宗本願寺派の教師の
資格を取得して、祖母と共に長松寺に入ります。


母や叔母は当時のことを振り返り、
今まで歌舞伎を観賞したり、デパートに買い物に行ったり、
なにかあったら「姉や(お手伝いさんたち)」が何でもやってくれて
いたので、父が田舎のお寺に入ると言ったときは、奈落の世界へ
突き落とされたようで本当にショックだった、と。


お寺に入った後の母と叔母は小学校の教員になり、
戦後は志和町で初めて開設した保育園の保母となって、
仏教保育に専念していきます。


祖父と祖母は慣れない農業を営みながら、
祖父はとくに布教活動に専念していました。


まったく環境の違った祖母の苦労は並大抵ではなく、
小さなお寺だったため、一家を食べさせていくために着
物や指輪や高価なものはすべて売り払ったそうです。


特に、家族は全員町から越してきたわけですから、田舎の
人たちはなかなか「地の人ではない」と受け入れてくれなか
ったそうです。長松寺というお寺は当時無住で、宗教法人
だけ残り実際はお寺としては崩壊していたわけです。


そのお寺を再建するためには多額の資金と、離れていった
門徒さんたちにお寺へ返ってもらう必要があったわけです。
祖父母は毎日、離れていった門徒さんの自宅に出向き、
頭を下げて戻ってもらうようにお願いして歩いたそうです。


社長の地位や名誉を捨てて、仏法の為に考えられない
ような苦労を背負って自らイバラの道を歩んだわけです。
私は幼少時にこの話を聞いてもピンと来ませんでしたが、
大人になって社会を知るにつけ、祖父母の偉大さが
分かってきました。


名利でもなく、権力でもなく、ただただ仏さまの手足として
働かせてもらいたい一心であった、ただそれだけだった。


一般常識では考えられないことですが、信仰の力とは
本当にスゴイものだと思います。
相当な時間がかかったようですが、8割がた長松寺の門徒
さんは長松寺に戻ってこられたそうです。


ただそうはいっても地元で生まれ育った人間ではありま
せんので当時は「よそ者」のレッテルが貼られ、いろんな
嫌がらせも地域からは受けたようです。


実は先祖より引き継ぐ正義感の強い私のDNAの中には
その当時の祖父母や父母の思いを強く引き継いでいる
感覚があります。
それは地元に対しての口では言えない違和感です。


ただその違和感も昔と比べれば随分減りました。


私の子供たちにはそういった感覚はまったくありませんが、
開祖から私で52代目、真宗に改宗して18代目、中田家が入寺
して3代目。破天荒なこの3代目で寺を潰すだろう・・、回り人たち
はみんなそう思っていたそうです。それは私も感じてました。


私の父は中学校の教員で婿養子でお寺に入った人でした。
母はとても都会的な感性の強い自由な人で、とても田舎に住む
ようなタイプの人ではありませんでした。
だから母もとても苦労したようです。が、最後まで自由だった。


祖母はそういった子どもたちも支えながら、
何よりも仏法を布教するという強い志の祖父を陰ながら支えた、
本当に明治の女性、絵にかいたような芯の強い薩摩おごじょでした。


この25回忌ではそんな祖母に大きな区切りとして「感謝と敬意」で
多くの御花を供え、また長松寺の関係者にもお花を
供えてもらいました。


「あなたがいらっしゃったから、私はここまで来れました。
そして多くの人たちが解放されていきました。」


こうやって書いてる孫の姿を、多くの長松寺の先祖の皆さんと共に
微笑みながら見ておられると思いますが、そうですねえ・・・、「どう
ですか?子孫は、孫は、子どもは、よくやってるでしょ・・・・」心の奥底
から熱いものが込み上げてきますから、皆さんから本当に有り難い
と感じて下さっているのがとっても全身に伝わってきます。


明日は広島に帰って
本堂で祖母、中田藤枝の25回忌の感謝の法要をお勤めさせていた
だきます。


どうですか?
今の長松寺?気に入っていただけますか?
もっと幅を広げていきますね。


祖父である中田珠教のDNAを引き継ぐ私は
やはりお寺としての理想と浄土への道を求めてここまでやってきました。
ただ祖父とは違ってゲリラのような直感と、俊足な動きで公的な意識で
やってはましたから、とにかくその真意が理解できない人は多かったと思います。


まだまだ未熟な子孫ばかりで、
あなたたちを心配させたり、驚かせたり・・・・。本当に申し訳ないと
思っています。ただ、いつもいざとなれば総力をあげて正しい方向へと
導いて下さることはわかっていますので、いつもとても元気と勇気を
いただいてます。ありがとうございます。


明日はお寺へ帰ります。
皆さんが生き抜いた私的な幸福感の道ではなく、
大きな大きな公的な仕合せの道を強く強く駆け引き抜きのバカボンのまんま
歩ませていただきます。


そしてやがて皆さんのもとへ胸を張って還らせてもらいます(笑)。


ワンチーム。


よろしくお願いします。

13:59, Saturday, Jan 25, 2020 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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