「親の業」12/18(日)
阿弥陀さん(仏様)の事を話をするとき必ず出てくるのが
親の業のお話。親の業・・・・、よくよく考えてみれば、ありますなあ・・・・・。
阿弥陀さんは僕たちに「浄土へ帰ってこい」と命じて下さるのは、
「業」だと親鸞聖人はいただかれてます。
業とは「はたらき」とか「行為」という意味です。
仏様からいうと、僕たちを救わずにはおれないという「はたらき」、
それが業です。
親の業かあ・・・・、子供のことをなにかあれば人にはぼろカス
言うんですが、いざとなると親は子供を絶対に捨てないという意味です。
親とはそういうものだという言葉です。口では「あんやつはもう、
好きにすればいい。もう諦めた、もういい・・」と言ってても、
親の本当の心じゃない。
これは・・・僕もそういう傾向があります。自分の子どもにしても、
周りにいる部下たちにしても、結構ぼろくそ言いますか゛、結局
子どもや部下を捨てられないのです。それが「親の業」です。
「親の業」とは、子を捨てることのできない親のあり方を言う言葉です。
「小さな我の世界を離れて大きないのちの浄土の世界へ帰ってこい」
と、呼んで下さるのは、阿弥陀さんの「おまえを捨てることができない」
という呼び声です。唯一として人間という子供を捨てられないのか゛、
仏様の業です。
それも「親鸞一人がためなりけり」で、この僕一人に向かってマンツーマン
で「帰ってこい」と慈悲心で呼び続けて下さっています。
その親の心をを受け取る、「ありがとうございます」と親の御心に帰依する
のが信心です。
その御心を絶対的なものにすれば、僕たちはどれほどの安らぎや豊かさ
そしてやる気や元気や生きる希望が与えられるのでしょうか。
信心の御利益って、ほんとうにあったかいものでしょ。
生かして頂いて 有難う御座位ます。
親の業のお話。親の業・・・・、よくよく考えてみれば、ありますなあ・・・・・。
阿弥陀さんは僕たちに「浄土へ帰ってこい」と命じて下さるのは、
「業」だと親鸞聖人はいただかれてます。
業とは「はたらき」とか「行為」という意味です。
仏様からいうと、僕たちを救わずにはおれないという「はたらき」、
それが業です。
親の業かあ・・・・、子供のことをなにかあれば人にはぼろカス
言うんですが、いざとなると親は子供を絶対に捨てないという意味です。
親とはそういうものだという言葉です。口では「あんやつはもう、
好きにすればいい。もう諦めた、もういい・・」と言ってても、
親の本当の心じゃない。
これは・・・僕もそういう傾向があります。自分の子どもにしても、
周りにいる部下たちにしても、結構ぼろくそ言いますか゛、結局
子どもや部下を捨てられないのです。それが「親の業」です。
「親の業」とは、子を捨てることのできない親のあり方を言う言葉です。
「小さな我の世界を離れて大きないのちの浄土の世界へ帰ってこい」
と、呼んで下さるのは、阿弥陀さんの「おまえを捨てることができない」
という呼び声です。唯一として人間という子供を捨てられないのか゛、
仏様の業です。
それも「親鸞一人がためなりけり」で、この僕一人に向かってマンツーマン
で「帰ってこい」と慈悲心で呼び続けて下さっています。
その親の心をを受け取る、「ありがとうございます」と親の御心に帰依する
のが信心です。
その御心を絶対的なものにすれば、僕たちはどれほどの安らぎや豊かさ
そしてやる気や元気や生きる希望が与えられるのでしょうか。
信心の御利益って、ほんとうにあったかいものでしょ。
生かして頂いて 有難う御座位ます。
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