「すべては当たり前じゃない」1/6(金)
≪伊勢白山道ブログ≫より転載
人間とは、
自分(自我)にとって嫌なことは、
先祖や他者の責任を思い、自分にとって良いことは、アタリマエにしてしまい、
先祖や他者を思うことも感謝もしていません。
つまり、悪い物事のことには執着して悩み忘れず、
良いことは直ぐにアタリマエとなり忘れています。
親が子供を成長させたいと思う時、勉強させたいと思う時、
もし悪い所があれば愛情ゆえに注意するものです。
私たちは、時間限定(人生)の中で、自分の気持ち(愛情力・思いやり力)を
成長させるために生まれて来ています。
このために、色んなことが人生で「起こる」のです。
もし病気に成っても、その中で他者からの恩恵に気付き、学ぶことが多々あります。
自分が病気に成らなければ、気付けない物事(アタリマエな物事の有り難さ、
弱者の気持ち、自分の高慢さ)とは誰にでも必ず在るものです。
だから、痛い思いをしなくても、今の内からアタリマエな物事に感謝をし、
先祖(遺伝子)にも感謝をしていますと、学びのための課題(嫌な事)は減少する法則が在ります。
その上で起こる善悪については、家系(霊線)に残存する課題だと考え、
自分が出来る努力をしながら静観することが、課題の昇華を早めさせます。
その昇華の恩恵は、他の家族や親族にも良い影響を残します。
とにかく何があっても、自分の心の仏様(良心・仏性)を傷付けないことが一番に大切です。
この世の善悪のすべては、必ず過ぎ去って行くことなのです。
しょせんは一時(いっとき)のことです。
しかし、自分の心の仏様(良心・仏性)は違います。
死後にも継続する存在なのです。
やはり、この言葉の気持ちで居ることが最善です。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
≪転載修了≫
何でも「当たり前」と思ってしまうほど傲慢なことはありません。
ただ、人間は悲しいかな、いつの間にか上手くいっていることや、
日常の平凡な日々が「当たり前」となって感謝の心を忘れていってしまいます。
また目に見えない先祖のみなさんたちのお蔭を与えられていることすら
忘れていってしまうのです。
だから病気や事故や一見不運や不幸というものを体験することによって
いかに自分や自分たちが恵まれ与えられてきたのか感謝の心を取り戻すことができます。
ということは、一見不運や不幸と思えることは、実際は仏様の慈悲の別の形の
表れなのかもしれません。
とにかく今、こうやって生かされていることが
人間にとっては奇跡なのです。
とにかくいつも心の中で今あらゆるものを与えられていることを感謝して
生きていくことが最善です。
さして常に自分の心の中の仏様と一緒であるという安心と共に積極的に
生きていくことがなにより大切ですね。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

人間とは、
自分(自我)にとって嫌なことは、
先祖や他者の責任を思い、自分にとって良いことは、アタリマエにしてしまい、
先祖や他者を思うことも感謝もしていません。
つまり、悪い物事のことには執着して悩み忘れず、
良いことは直ぐにアタリマエとなり忘れています。
親が子供を成長させたいと思う時、勉強させたいと思う時、
もし悪い所があれば愛情ゆえに注意するものです。
私たちは、時間限定(人生)の中で、自分の気持ち(愛情力・思いやり力)を
成長させるために生まれて来ています。
このために、色んなことが人生で「起こる」のです。
もし病気に成っても、その中で他者からの恩恵に気付き、学ぶことが多々あります。
自分が病気に成らなければ、気付けない物事(アタリマエな物事の有り難さ、
弱者の気持ち、自分の高慢さ)とは誰にでも必ず在るものです。
だから、痛い思いをしなくても、今の内からアタリマエな物事に感謝をし、
先祖(遺伝子)にも感謝をしていますと、学びのための課題(嫌な事)は減少する法則が在ります。
その上で起こる善悪については、家系(霊線)に残存する課題だと考え、
自分が出来る努力をしながら静観することが、課題の昇華を早めさせます。
その昇華の恩恵は、他の家族や親族にも良い影響を残します。
とにかく何があっても、自分の心の仏様(良心・仏性)を傷付けないことが一番に大切です。
この世の善悪のすべては、必ず過ぎ去って行くことなのです。
しょせんは一時(いっとき)のことです。
しかし、自分の心の仏様(良心・仏性)は違います。
死後にも継続する存在なのです。
やはり、この言葉の気持ちで居ることが最善です。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
≪転載修了≫
何でも「当たり前」と思ってしまうほど傲慢なことはありません。
ただ、人間は悲しいかな、いつの間にか上手くいっていることや、
日常の平凡な日々が「当たり前」となって感謝の心を忘れていってしまいます。
また目に見えない先祖のみなさんたちのお蔭を与えられていることすら
忘れていってしまうのです。
だから病気や事故や一見不運や不幸というものを体験することによって
いかに自分や自分たちが恵まれ与えられてきたのか感謝の心を取り戻すことができます。
ということは、一見不運や不幸と思えることは、実際は仏様の慈悲の別の形の
表れなのかもしれません。
とにかく今、こうやって生かされていることが
人間にとっては奇跡なのです。
とにかくいつも心の中で今あらゆるものを与えられていることを感謝して
生きていくことが最善です。
さして常に自分の心の中の仏様と一緒であるという安心と共に積極的に
生きていくことがなにより大切ですね。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。

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