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「除夜会に参加して」1/7(土)夕
お寺の寺報「新春号」を作成中です。
依頼してた原稿がファクスやメールで
どんどん送られてきます。


今回はうちの保育園の谷本先生と、
生城太鼓で調理員の生塩先生の内容を
ご紹介します。


「地域とお寺の絆を感じた除夜会」

昨年の大晦日に「長松寺除夜会」に初めて
行かせていただきました。
本堂に入ると、座る場所がないほど
沢山の方がおられとても驚きました。

十二月の慌ただしい毎日でしたが、
お経を読むことで心が落ち着き、
美味しい年越し蕎麦も頂戴し、
穏やかな気持ちでお寺の本堂で新年を迎え
ることができました。

また、除夜会では地域の方々とお寺の
家族の皆様の「絆」が深くつながっ
ている様子も見られとても暖かい気持ちになりました。

私たち仏教保育の志和龍城保育園の職員も、
仏様を中心としたネットワークである「龍城ネット」の一員として、
保護者・子どもたちに、そんな安心の場が与えられような
「絆」を2012年はもっと築いていこうと感じました。

また今年の「除夜会」に参加することを
とても楽しみにしています。
生かして頂いて ありがとうございます。
合掌

           志和龍城保育園保育士 谷本千香子


「感謝の気持ちで胸が熱くなった」
東日本大震災追悼太鼓」と題して、
2012年1月1日0時30分より長松寺本堂にて
「銚子早打ち」「大悲〜愛〜」「踊り打ち」の三曲を
叩かせていただきました。

私たち女性ばかりの生城太鼓も昨年は「絆」を大切に、
心を一つにして太鼓を叩くことを練習してきました。

そんな時、追悼太鼓のお話を頂き、家族の協力を得て、
参加させていただきました。

本番では失敗もありましたが、聴いて下さった方々が
笑顔で手拍子して下さり、気持ちよく元気に叩かせて
いただきながら、いつの間にか参詣されている大勢の
人たちと一体感が生まれ、自然と「感謝の気持ちで胸が
熱く」なっていきました。

「和太鼓」は本来地震等の震災を鎮めるために叩かれた
という言い伝えがあるそうです。
これからも災害や争いが起きないよう念じつつ、皆様の
笑顔を励みにバージョンアップしていきます。
よろしくお願い致します。

また、演奏が済んでいただいた京都「だる満」さんの年越し
蕎麦は最高でした。

みんなでしっかりおかわりもしました。
ありがとうございました。
生かしていただいて ありがとうございます。合掌

追記

このお話を長松寺のご院家さんからいただいた時、
メンバーの何人から「私たち門徒じゃないのに本堂に
入っていいの?」「お参りの時、こんな格好で大丈夫?」
などなど「ええ??」という意見が出ました。

「お寺はきちんとした服装で行かないと」「門徒でないと
そのお寺へのお参りは出来ない」
というお寺への偏った概念が、まだまだ強くあったようです。

昔、うちの子どもたちが空手をご院家さんに教えてもらっていたり、
現在私自身が志和龍城保育園の調理員であったりと、長松寺は
すごく身近に感じていますので、「長松寺は門徒でなくても誰でも
自由に出入りできる開かれたお寺なのよ」
「長松寺はジーパンでも入れるざっくばらんなお寺よ」の言葉に、
みんなびっくりしていました。

また太鼓のメンバーたちは、今回の除夜会に参加してみて、
賑やかで活気のある自由な長松寺の雰囲気に、お寺自体の受け
取り方が変わってしまったようにも思います。

そういう人たちが志和町や他町の中にも沢山いらっしゃると思い
ますので、こういう行事に是非参加してみて、もっと長松寺を身近に
感じてもらい、ご法座や保育園などのいろんな行事にも参加して
もらえたらいいと思いました。合掌

                     生城太鼓  生 塩 吉 子

嬉しいコメントをありがとうございます。
ただお寺に対する閉鎖的なイメージが強いのには驚きましたし、
あらためて「お寺ってこれほどオープンで遠慮気兼ねがない場
なんですよ」といったことをもっとアピールしないといけないとも
思いました。


だから有難いです。本当のことを伝えてもらった方が。
昨日の「金スマ」でAKB48のデビューから昨年の日本歌謡
大賞受賞までのドキュメントをやってましたが、秋元さんどんどん
ファンから意見を聞いてはとにかくダメ元でいろんなアイデアを
実行していました。


そこまでやるか・・・というものもありましたが、日常の言葉で
遠慮気兼ねなく話せる場所が欲しいなあ!他宗と違って、そ
んな切なる思いで建てられたのが浄土真宗のお寺の本堂、
念仏道場です。


それが、着ていくものまで心配したり、門徒以外は入れない
じゃないかという遠慮も生んだりしているとするならば、
本当に本末転倒だし、本来の浄土真宗のお寺でなくなって
いるのですね。


遠慮気兼ねなく自分の胸の中を打ち出せ、悩みや心配を如来様の
前に投げ出して、一緒に集まってお法を聞ける場が浄土真宗の
お寺の本堂なんです。

肩の張る場所なら、緊張して自分をごまかしたり隠す場所なら
いくらでもあります。


どうして浄土真宗のお寺が建てられたのか?
もう一度原点に帰って、真剣に考え直さなければいけないって
本当にそう思いました。
いい問題定義をありがとうございます。


生かして頂いて ありがとう御座位ます。
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