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「お蔭様」2/8(水)
≪伊勢白山道≫より転載

昔の日本人は、
日常生活の中の至る所に精霊を感じていました。


便所・台所のカマド・座敷・風呂・・・山・川・海・森・・・。


つまり、人間が生きるために使用している所や、
利用させて頂いている物に対して、見えない存在を感じていたのです。


これは精霊を霊視していたのでは無く、
自分たちが使用させて頂いて「ありがたい」と言う感謝の気持ちから、
精霊が「居るに違いない」に成ったと感じます。


これは、霊視をする以上に、高度な心境を意味しています。


別に見えない物に対して、精霊を思う必要も、
感謝をする必要もないわけです。


しかし、“利用させて頂いている”と言う感謝の気持ちを持つ人間は、
物にも感謝をしたくなるのです。


これは愛情が深い証拠なのです。


見えないモノにも感謝が出来る人間は、
他人の気持ちも察することが出来ます。


人間が思っている気持ちも、見えないモノです。
しかし、その見えない気持ちも、
思いやることが出来て大切に出来ます。


見える物にしか感謝をしない合理主義の人間と、
見えないモノも大切に出来る思いやりの有る人とでは、
あなたがパートナーに選ぶならば、どちらが良いですか?


形に表れたモノにしか対応をしない人間関係とは、
殺伐とした関係に感じます。


すべてが根源的な存在1つからの「現れ」ですから、
すべての物事の中に根源的な神仏を見るのは可能なのです。
すべてが深奥では繋がっています。


便所には、便所の精霊が居るというのは、霊的には正しいです。


良心を宿す人間が排出するモノには、
初期の一定時間だけは霊体のエナジーが乗っています。


たくさんの人が使用するトイレでは、
排出された霊体のエナジーが堆積します。


霊眼では、雲のような塊(かたまり)で漂う感じです。
これが姿形を帯びたとしても、不思議ではありません。


これは古神道的には、分魂(ぶんこん)思想と言いまして、
自分の魂のエナジーを分けることと通じています。


自分が存在する奇跡に心から気付けますと、
先祖に自然と感謝をしたく成ります。


先祖に感謝もできない人には、愛情不足を感じます。
見える“間違った物”を信じる傾向を持ちます。


素直に、すべてに感謝ができる心境を意識しましょう。
神仏を宿す人間が意識しないことは、
その思った内容の到来も起こりません。


自分の日常生活の中に、感謝をする気持ち(分魂)を置いて行きましょう。
それが、後で本当に助けてくれます。

                             ≪転載修了≫

そういうことなんですかあ・・、
そんな予感はしていましたが、
あの「トイレの神様」も妄想じゃないんだぁ・・。


それにしても昔の人は何に対しても、
特に物に対して「お蔭様」と感謝していたのは
そういうことなんですね。


日本人って、日本語にしても、俳句や和歌のセンスにしても
やはり感性が鋭いというか、霊性が他の民族よりも著しく発達していますよね。


だから教わらなくても、なんとなく本当の事が分かってる。
こういうお話を聞いてもまったく違和感がないというのは、
そういうことなのでしょう。


すべてに「お蔭様」と感謝ですね。



生かして頂いて ありがとう御座位ます。

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05:54, Wednesday, Feb 08, 2012 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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