「存在への自信が一番」2/18(土)親子
よく「自信をつけるためには」とか「自信をつけさせるためには」
ということを家庭でも学校でも職場でも聞きます。
で、この「自信」なんですが、
一体どういう「自信」をつけたいのかってことなんです。
一番「自信」で大切な「自信」は、「存在への自信」です。
つまり、自分は生きてていいんだ、自分はここにいていいんだ、
自分は愛されている、自分は存在価値があるんだ、
自分はいらない人間じゃない、という自己肯定感覚、自尊感覚です。
これは何によって作られるかというと、
親や周囲の人が自分の存在を喜んでくれることから、
無条件で認め、愛してくれることから育まれる安心感情です。
この安心感情が強い人ほど楽しく豊かな人生を歩んでいけますし、
何があっても七転び八起きの折れない強い生き方ができます。
もう一つの自信は「能力への自信」です。
これは勉強ができる、スポーツができる、お手伝いが出来る、
などという、自分の能力への自信です。これは良い成績をもらって、
周囲の人たちから認められたり、褒められたりすることによって
育まれていきます。
普通、「自信」というと、この「能力への自信」のほうを考えてますし、
問題にしがちです。
でもね、この「能力への自信」は実に脆いです。
この自信は、努力によって身につけられる反面、
いろんな状況で失います。勉強で失敗したり、
スポーツで負けたりしたりです。
ところがそこで「なにくそ」と思って、
また立ち上がって頑張ることができるか、
「どうせ自分は」とあきらめてしまうかは、
「存在への自信」、自己肯定感によるものなのです。
自分のことをツイてる、自分は運が強い、
自分は守られているも、自分は根拠のない自信か゛ある・・・
これらはすべて自己肯定感が高いということなのです。
これは、躾やルールを教えるときも同じです。
悪いことを悪いと注意したときに自己肯定感の高い子は、
「自分のために叱ってくれた」「これで自分はもっとよくなる」
と思うことができます。
しかし、自己肯定感の低い子は、
「やっぱり自分はダメなんだ」「自分はやはり無理なんだ」
と思って、すてばちになって、やる気になれません。
だから、その子の勉強やスポーツなどの能力を育てるときにも、
躾やルールを教えるときにも、土台となるのが、自己肯定感である、
「存在への自信」なのです。
だから人間が生きていくときに、
本当に大切な自信は「存在への自信」だし、
これさえあればその子、その人の独自固有の長所を発揮できていくのです。
本当の自信、「存在の自信」は
その人が愛されて心の中に育った安心感覚
自己肯定感から生まれてくるのです。
だから、保育、教育、家庭、空手、職場等々
すべての場においてこの「存在の自信」を育んでいくことが
土台にあって、その上で能力の自信を与える指導者の創意工夫や
保護者の取り組む姿勢がないと、逆に子どもも大人も自信を失っていきます。
ましてや宗教の存在意義とは、
まさに自分の心の中の安心の仏様と繋がって大安心で
この世の中を自我を薄くし、どんなに厳しい体験であろうと
その体験によって自身の魂をを磨き、
さらに強く明るく生き抜くことですから、
いかにこの「存在への安心」の「自信」が人間が生きていくうえで
一番大切であることなのかが、わかるかと思います。
僕の今までの生き方を振り返ってみると、
結局は因縁ある人達や組織全体の本当の「自己肯定感」を育む
そればっかりやってきているような気がします。
これさえしっかりその人の心の中に育っていれば、
あとは少しばかり何があってもおおよそ大丈夫なんで。
そしてその上で自我を薄くして魂を磨くサポート、
そんなことばっかりというか、そればっかりやってきているような気がする。
ということは、それが目的で生まれてきてるんでしょう。
自他ともにで、自らも歓喜を体験できるからね。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。
ということを家庭でも学校でも職場でも聞きます。
で、この「自信」なんですが、
一体どういう「自信」をつけたいのかってことなんです。
一番「自信」で大切な「自信」は、「存在への自信」です。
つまり、自分は生きてていいんだ、自分はここにいていいんだ、
自分は愛されている、自分は存在価値があるんだ、
自分はいらない人間じゃない、という自己肯定感覚、自尊感覚です。
これは何によって作られるかというと、
親や周囲の人が自分の存在を喜んでくれることから、
無条件で認め、愛してくれることから育まれる安心感情です。
この安心感情が強い人ほど楽しく豊かな人生を歩んでいけますし、
何があっても七転び八起きの折れない強い生き方ができます。
もう一つの自信は「能力への自信」です。
これは勉強ができる、スポーツができる、お手伝いが出来る、
などという、自分の能力への自信です。これは良い成績をもらって、
周囲の人たちから認められたり、褒められたりすることによって
育まれていきます。
普通、「自信」というと、この「能力への自信」のほうを考えてますし、
問題にしがちです。
でもね、この「能力への自信」は実に脆いです。
この自信は、努力によって身につけられる反面、
いろんな状況で失います。勉強で失敗したり、
スポーツで負けたりしたりです。
ところがそこで「なにくそ」と思って、
また立ち上がって頑張ることができるか、
「どうせ自分は」とあきらめてしまうかは、
「存在への自信」、自己肯定感によるものなのです。
自分のことをツイてる、自分は運が強い、
自分は守られているも、自分は根拠のない自信か゛ある・・・
これらはすべて自己肯定感が高いということなのです。
これは、躾やルールを教えるときも同じです。
悪いことを悪いと注意したときに自己肯定感の高い子は、
「自分のために叱ってくれた」「これで自分はもっとよくなる」
と思うことができます。
しかし、自己肯定感の低い子は、
「やっぱり自分はダメなんだ」「自分はやはり無理なんだ」
と思って、すてばちになって、やる気になれません。
だから、その子の勉強やスポーツなどの能力を育てるときにも、
躾やルールを教えるときにも、土台となるのが、自己肯定感である、
「存在への自信」なのです。
だから人間が生きていくときに、
本当に大切な自信は「存在への自信」だし、
これさえあればその子、その人の独自固有の長所を発揮できていくのです。
本当の自信、「存在の自信」は
その人が愛されて心の中に育った安心感覚
自己肯定感から生まれてくるのです。
だから、保育、教育、家庭、空手、職場等々
すべての場においてこの「存在の自信」を育んでいくことが
土台にあって、その上で能力の自信を与える指導者の創意工夫や
保護者の取り組む姿勢がないと、逆に子どもも大人も自信を失っていきます。
ましてや宗教の存在意義とは、
まさに自分の心の中の安心の仏様と繋がって大安心で
この世の中を自我を薄くし、どんなに厳しい体験であろうと
その体験によって自身の魂をを磨き、
さらに強く明るく生き抜くことですから、
いかにこの「存在への安心」の「自信」が人間が生きていくうえで
一番大切であることなのかが、わかるかと思います。
僕の今までの生き方を振り返ってみると、
結局は因縁ある人達や組織全体の本当の「自己肯定感」を育む
そればっかりやってきているような気がします。
これさえしっかりその人の心の中に育っていれば、
あとは少しばかり何があってもおおよそ大丈夫なんで。
そしてその上で自我を薄くして魂を磨くサポート、
そんなことばっかりというか、そればっかりやってきているような気がする。
ということは、それが目的で生まれてきてるんでしょう。
自他ともにで、自らも歓喜を体験できるからね。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。
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