「○○ちゃんのそういうところ」11/14(木)
人間ですから、「好き・嫌い」はあってもいいと思います。
もちろん、すべての人や現象を「好き」というフィルターを通して
見られるようになれば、幸せでステキなことだと思いますが、
「好きになるよう努力する」というには、ちょっと違います。
努力して好きになるのは、本当の好きではありません。
「嫌い」を「好き」にかえようと努力するより、
「好き・嫌い」のまま置いておいて、
「嫌い」は「悪い」ことでも「価値がない」ことでもないと受け入れることの方が、
より大事な視点のように、私は思います。
「好き・嫌い」は、価値判断ではなく、「好み・嗜好」の問題です。
「イチゴ」が好きな人もいれば、「メロン」が嫌いな人もいます。
だからといって、「イチゴ」の価値が高くて、「メロン」に価値が
ないということにはなりません。
「イチゴ」がよくて「メロン」が悪いわけでもありません。
しかし、この「好き・嫌い」の対象がイチゴやメロンなどの
食べものであれば、まだ冷静に対処できるのですが、
相手が人間で、さらに家族などの近しい人になると、
どうしても感情的になってしまって、
冷静に対処するのが難しくなってくるのは、無理もありません。
特に自分の子どもが複数いる場合など、
私たちはどうしても「自分の子どもとして、
兄弟姉妹は分け隔てなく、平等に愛さなければいけない……」
という強い思い込みを抱えています。
ですから、兄弟の中で「好き・嫌い」の違いがでてしまうと、
「自分の子どもなのに、同じように愛せない私は母親失格だ」と、
お母さんは激しく自分を責めることになってしまいます。
しかし、これは兄弟の中で、「差」をつけているわけでも、
価値判断しているわけでもなく、単に自分の「好み・嗜好」の
問題なのだということがわかれば、
自分を責める必要がないということが腑に落ちるはずです。
さらになぜ「嫌い」なのか、その理由にキチンと向き合うことが大切です。
「嫌い」になるのには、「嫌い」になる理由があります。たとえば、
子どもの「ここがイヤ」という理由がわかれば、
それをはっきり子どもに伝えるのは、アリだと、私は思います。
少なくとも、「そういう子はキライ!」と子どもの
人格全体を頭ごなしに否定するような言い方をするより、
「○○ちゃんのそういうところ、お母さんは好きじゃないな」と
「嫌い」の理由と、「嫌い」の部分をキチンと伝えた方が、
子どもも納得できますし、改善のためのアプローチも明確になります。
「嫌い」が悪いわけではなく、「嫌い」=「ダメ・価値がない」
という考え方に問題があるのです。「嫌い」にフォーカスすると、
「嫌い」がドンドン拡大して、ますます「嫌い」になるという悪循環に陥るだけ。
本当は子どものことが嫌いなのではなく、
お母さん自身が抱えている、「自分の中の子ども」の
部分が好きではないということが、目の前の子どもに
映し出されているだけかもしれません。
それは子どもの問題ではありません。
「嫌い」な部分をはっきりさせるということは同時に、
「それ以外は少なくとも嫌いじゃない」ということ。
そこから「好き」を増やしていけばいいのです。
そのためにも、まずは自分の中で「好き」を増やしていくこと。
自分のことが大好きになれと、
相手の「嫌い」な部分も案外、気にならなくなるものです。
「こころが軽くなる 子育ての言葉」より抜粋

もちろん、すべての人や現象を「好き」というフィルターを通して
見られるようになれば、幸せでステキなことだと思いますが、
「好きになるよう努力する」というには、ちょっと違います。
努力して好きになるのは、本当の好きではありません。
「嫌い」を「好き」にかえようと努力するより、
「好き・嫌い」のまま置いておいて、
「嫌い」は「悪い」ことでも「価値がない」ことでもないと受け入れることの方が、
より大事な視点のように、私は思います。
「好き・嫌い」は、価値判断ではなく、「好み・嗜好」の問題です。
「イチゴ」が好きな人もいれば、「メロン」が嫌いな人もいます。
だからといって、「イチゴ」の価値が高くて、「メロン」に価値が
ないということにはなりません。
「イチゴ」がよくて「メロン」が悪いわけでもありません。
しかし、この「好き・嫌い」の対象がイチゴやメロンなどの
食べものであれば、まだ冷静に対処できるのですが、
相手が人間で、さらに家族などの近しい人になると、
どうしても感情的になってしまって、
冷静に対処するのが難しくなってくるのは、無理もありません。
特に自分の子どもが複数いる場合など、
私たちはどうしても「自分の子どもとして、
兄弟姉妹は分け隔てなく、平等に愛さなければいけない……」
という強い思い込みを抱えています。
ですから、兄弟の中で「好き・嫌い」の違いがでてしまうと、
「自分の子どもなのに、同じように愛せない私は母親失格だ」と、
お母さんは激しく自分を責めることになってしまいます。
しかし、これは兄弟の中で、「差」をつけているわけでも、
価値判断しているわけでもなく、単に自分の「好み・嗜好」の
問題なのだということがわかれば、
自分を責める必要がないということが腑に落ちるはずです。
さらになぜ「嫌い」なのか、その理由にキチンと向き合うことが大切です。
「嫌い」になるのには、「嫌い」になる理由があります。たとえば、
子どもの「ここがイヤ」という理由がわかれば、
それをはっきり子どもに伝えるのは、アリだと、私は思います。
少なくとも、「そういう子はキライ!」と子どもの
人格全体を頭ごなしに否定するような言い方をするより、
「○○ちゃんのそういうところ、お母さんは好きじゃないな」と
「嫌い」の理由と、「嫌い」の部分をキチンと伝えた方が、
子どもも納得できますし、改善のためのアプローチも明確になります。
「嫌い」が悪いわけではなく、「嫌い」=「ダメ・価値がない」
という考え方に問題があるのです。「嫌い」にフォーカスすると、
「嫌い」がドンドン拡大して、ますます「嫌い」になるという悪循環に陥るだけ。
本当は子どものことが嫌いなのではなく、
お母さん自身が抱えている、「自分の中の子ども」の
部分が好きではないということが、目の前の子どもに
映し出されているだけかもしれません。
それは子どもの問題ではありません。
「嫌い」な部分をはっきりさせるということは同時に、
「それ以外は少なくとも嫌いじゃない」ということ。
そこから「好き」を増やしていけばいいのです。
そのためにも、まずは自分の中で「好き」を増やしていくこと。
自分のことが大好きになれと、
相手の「嫌い」な部分も案外、気にならなくなるものです。
「こころが軽くなる 子育ての言葉」より抜粋

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