「○○ちゃんのペースで・・・」 11/16(土)
何事も「ねばならない」でするものではありません。こう書くと、
「そんなこと言っても、この世の中には実際に、たくさんの義務があるじゃないですか!
まず、生きていかなくちゃいけないし、生きていくためにはお金もかかるし、
働かなきゃいけないし、子どもも育てていかないといけないし、
いろんな約束のたくさんあるし……、全部、『ねばならない』じゃ、ありませんか!」
と反論したくなる方が、きっといらっしゃるでしょう。
ただ、同じ生きているのであっても、
「生きていかなければならない」と思うと、
生きることが苦しく辛いものになってしまいます。
「生きなければ……」と思うのではなく、「生きたいから……」と思えば、
自分の意思で生きることを選択しているので、
生きることの義務から解放されて、生きることをもっと積極的に、
主体的に楽しむことができるのではないでしょうか?
子どもに対しても、「ああしろ、こうしろ」と指示・命令したり、
「早くしなさい」とか、「遅れている」と叱ってしまうのは、
こうした根本的なところで、親の方が「ねばならない」という
義務感にとらわれてしまっている証拠です。
「ねばならない」というのは、「とらわれ」です。
まさしく「ねばねば」のワナにはまって、
身動きがとれなくなっている状態なのです。
子どもに対して、親の「ねばならない」を押しつけることは、
子どももこの同じ「ねばねば」のワナに巻き込むことにほかなりません。
「遅れているよ」と子どもに指摘してしまうのは、なぜでしょう。
「遅れる」ことの現実的なデメリットとはなんでしょう。
「遅れている」と指摘された子どもは、いったいどんな気持ちがするでしょう。
「早い」ことが「良いこと・正しいこと」で、「遅いこと」が、
「悪いこと・間違っていること」だと誰が決めたのですか?
そもそも、「早い・遅い」の基準はどこにあるのでしょうか?
オリンピックの選考レースにでもしようとしているのなら、
基準は明確にわかりますが、日常生活の中で、
「早い・遅い」を競う必要が一体、どこにあるというのでしょうか?
私たちは義務で生きているのではありません。
自分の意思で、この世に生まれたくて生まれてきたのです。
「生きたいから生きている」のです。これは親であっても、子どもでも、全く同じ。
「自分らしく自由に生きていくこと」。
これがすべての人に共通する生きる意味・目的ではないでしょうか。
子どもの人生は、子どものもの。親であっても、
子どもが自らの人生を味わう時間を奪う権利はありません。
「遅れているよ!」と子どもを急かすのは、
子どもが食べようとしていた人生という名の料理を
途中で取り上げてしまうようなもの……。
親から「早く、早く」と急かされて育てられた子どもは、
「人生は急ぐもの」という価値観を植えつけられているのと同じこと。
これは子どもを「生き急がせる」ことにつながるだけ。
子どもに長生きしてほしい、自分の人生を存分に楽しんで欲しいと思うなら、
子どもをむやみに急かさないように、よくよく注意が必要です。
「こころが軽くなる 子育ての言葉」より抜粋
「そんなこと言っても、この世の中には実際に、たくさんの義務があるじゃないですか!
まず、生きていかなくちゃいけないし、生きていくためにはお金もかかるし、
働かなきゃいけないし、子どもも育てていかないといけないし、
いろんな約束のたくさんあるし……、全部、『ねばならない』じゃ、ありませんか!」
と反論したくなる方が、きっといらっしゃるでしょう。
ただ、同じ生きているのであっても、
「生きていかなければならない」と思うと、
生きることが苦しく辛いものになってしまいます。
「生きなければ……」と思うのではなく、「生きたいから……」と思えば、
自分の意思で生きることを選択しているので、
生きることの義務から解放されて、生きることをもっと積極的に、
主体的に楽しむことができるのではないでしょうか?
子どもに対しても、「ああしろ、こうしろ」と指示・命令したり、
「早くしなさい」とか、「遅れている」と叱ってしまうのは、
こうした根本的なところで、親の方が「ねばならない」という
義務感にとらわれてしまっている証拠です。
「ねばならない」というのは、「とらわれ」です。
まさしく「ねばねば」のワナにはまって、
身動きがとれなくなっている状態なのです。
子どもに対して、親の「ねばならない」を押しつけることは、
子どももこの同じ「ねばねば」のワナに巻き込むことにほかなりません。
「遅れているよ」と子どもに指摘してしまうのは、なぜでしょう。
「遅れる」ことの現実的なデメリットとはなんでしょう。
「遅れている」と指摘された子どもは、いったいどんな気持ちがするでしょう。
「早い」ことが「良いこと・正しいこと」で、「遅いこと」が、
「悪いこと・間違っていること」だと誰が決めたのですか?
そもそも、「早い・遅い」の基準はどこにあるのでしょうか?
オリンピックの選考レースにでもしようとしているのなら、
基準は明確にわかりますが、日常生活の中で、
「早い・遅い」を競う必要が一体、どこにあるというのでしょうか?
私たちは義務で生きているのではありません。
自分の意思で、この世に生まれたくて生まれてきたのです。
「生きたいから生きている」のです。これは親であっても、子どもでも、全く同じ。
「自分らしく自由に生きていくこと」。
これがすべての人に共通する生きる意味・目的ではないでしょうか。
子どもの人生は、子どものもの。親であっても、
子どもが自らの人生を味わう時間を奪う権利はありません。
「遅れているよ!」と子どもを急かすのは、
子どもが食べようとしていた人生という名の料理を
途中で取り上げてしまうようなもの……。
親から「早く、早く」と急かされて育てられた子どもは、
「人生は急ぐもの」という価値観を植えつけられているのと同じこと。
これは子どもを「生き急がせる」ことにつながるだけ。
子どもに長生きしてほしい、自分の人生を存分に楽しんで欲しいと思うなら、
子どもをむやみに急かさないように、よくよく注意が必要です。
「こころが軽くなる 子育ての言葉」より抜粋
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