「今こそ親が学ぶとき」 12/12(木)
私はハートフルコミュニケーションの講演で、
参加者の皆さんが「え?」と思うような
いくつかのメッセージを発しています。
まず講演の最初に、「私が言うことを信じないでください」
とお願いします。そして講演の途中で、
「子どもをほめてはいけない」と話します。
さらに「子どもの言葉を信じてはいけない」と続き、
最後によく参加者の方にかみつかれます。
「じゃあ、私たちはどうすればいいんですか?」
私の発する言葉はすべて、世の中の情報を鵜呑みにすることへの
警告です。
鵜呑みにして情報に振り回されるのでなく、
一人の親として、人として、世間がなんと言おうと、
自分の子どもの本当の幸せはどこにあるのかを
考えなければならないということです。
世の中は情報にあふれています。
何を選ぶかも私たちの自由です。
日々情報は更新され、どんどん新しいものが出てきます。
そのひとつひとつが魅力的でもあります。
そして、そこに罠が潜んでいます。
私たちは、どのくらいそれらの情報を吟味し、
自分にとって有益かを確かめているでしょう。
自分にとって、何がいいかを、どのくらい考えているでしょうか。
情報をうのみにし、考えることなく、よさそうなものに
安易に身をまかせてはいないでしょうか。
たとえば、「子どもをほめて育てろ」と言われ、
その深い意味も考えないままほめて育てて、
実は問題を育てていることに気づいていない親が
多いのではないかと思います。
ほめられただけの子どもは、万能感を膨らませ、
自分の実像を適切に把握することなく
世の中に出ていきます。
これは本人にとって、そしてその周りの人々にとって
幸せな結果を生まない危険をはらんでいるのです。
「畏れ多きもの」のいた時代においては、
ほめることは大変重要でした。
子どもはつねに「畏れ多きもの」に囲まれて生きていました。
ときどき、その「畏れ多きもの」の一部である父や母、
また別の大人にほめられることは、それらを犯したり、
超えたりできないところにおいては、
自分を認めるための重要な要素だったのです。
ほめられて、子どもは「これでいいんだ!」
と思うことができました。つまり、シールドに守られた中での、
自信を持つことができたのです。
そのシールドのない今、下手にほめると、
子どもの万能感はどんどん膨らんでいき、
「自分はえらい!」と勘違いしてしまいます。
この間違いは、いずれどこかで破綻してしまう恐れがあります。
たとえば、「ほめて育てろ」ひとつをとっても、
その言葉の意味を自分の中に取り込んでよく考えることが、
今の私たち親に求められていることではないのでしょうか。
さまざまな情報や機会にふれることは刺激になります。
ただし、それらは、あくまで一般的な情報や機会にあって、
本当に自分の役に立つかどうかはわかりません。
子どもの状態や子どもがおかれている環境をよく見極め、
子どもにとってもっともいいものは何かを考える時間と姿勢が、
今、親に求められます。
子どもにまつわる問題や事件のすべてが、今立ち止まり、
子育てを考えようと提案しています。
親が考え、自分を見つめ、自分を語り、子どもと
ふれ合わない限り、子どもの成長の援助をすることはできません。
今こそ、私たち大人が立ち止り、親として、
一人の人として、自分を成長させるときなのです。
「子どもの心のコーチング」より抜粋

参加者の皆さんが「え?」と思うような
いくつかのメッセージを発しています。
まず講演の最初に、「私が言うことを信じないでください」
とお願いします。そして講演の途中で、
「子どもをほめてはいけない」と話します。
さらに「子どもの言葉を信じてはいけない」と続き、
最後によく参加者の方にかみつかれます。
「じゃあ、私たちはどうすればいいんですか?」
私の発する言葉はすべて、世の中の情報を鵜呑みにすることへの
警告です。
鵜呑みにして情報に振り回されるのでなく、
一人の親として、人として、世間がなんと言おうと、
自分の子どもの本当の幸せはどこにあるのかを
考えなければならないということです。
世の中は情報にあふれています。
何を選ぶかも私たちの自由です。
日々情報は更新され、どんどん新しいものが出てきます。
そのひとつひとつが魅力的でもあります。
そして、そこに罠が潜んでいます。
私たちは、どのくらいそれらの情報を吟味し、
自分にとって有益かを確かめているでしょう。
自分にとって、何がいいかを、どのくらい考えているでしょうか。
情報をうのみにし、考えることなく、よさそうなものに
安易に身をまかせてはいないでしょうか。
たとえば、「子どもをほめて育てろ」と言われ、
その深い意味も考えないままほめて育てて、
実は問題を育てていることに気づいていない親が
多いのではないかと思います。
ほめられただけの子どもは、万能感を膨らませ、
自分の実像を適切に把握することなく
世の中に出ていきます。
これは本人にとって、そしてその周りの人々にとって
幸せな結果を生まない危険をはらんでいるのです。
「畏れ多きもの」のいた時代においては、
ほめることは大変重要でした。
子どもはつねに「畏れ多きもの」に囲まれて生きていました。
ときどき、その「畏れ多きもの」の一部である父や母、
また別の大人にほめられることは、それらを犯したり、
超えたりできないところにおいては、
自分を認めるための重要な要素だったのです。
ほめられて、子どもは「これでいいんだ!」
と思うことができました。つまり、シールドに守られた中での、
自信を持つことができたのです。
そのシールドのない今、下手にほめると、
子どもの万能感はどんどん膨らんでいき、
「自分はえらい!」と勘違いしてしまいます。
この間違いは、いずれどこかで破綻してしまう恐れがあります。
たとえば、「ほめて育てろ」ひとつをとっても、
その言葉の意味を自分の中に取り込んでよく考えることが、
今の私たち親に求められていることではないのでしょうか。
さまざまな情報や機会にふれることは刺激になります。
ただし、それらは、あくまで一般的な情報や機会にあって、
本当に自分の役に立つかどうかはわかりません。
子どもの状態や子どもがおかれている環境をよく見極め、
子どもにとってもっともいいものは何かを考える時間と姿勢が、
今、親に求められます。
子どもにまつわる問題や事件のすべてが、今立ち止まり、
子育てを考えようと提案しています。
親が考え、自分を見つめ、自分を語り、子どもと
ふれ合わない限り、子どもの成長の援助をすることはできません。
今こそ、私たち大人が立ち止り、親として、
一人の人として、自分を成長させるときなのです。
「子どもの心のコーチング」より抜粋

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