「ユーモアで乗り切る練習」 1/20(月)
娘がソファーで長々と寝そべっています。
私は、「この忙しいときに手伝おうともせず、
寝そべっているとは何事」とムッときます。
でもそんなことを口にしたら、
せっかく帰ってきてくれた娘に申し訳ないし、
一緒に夕飯を食べて楽しもうとしているときが台無しです。
そこでグッとこらえて「手伝ってくれる?」
と言っても、声に怒りが現れます。
こんなときに使う手が、感情とは全く違うことを言葉にすることです。
「新聞によりますと、横浜市青葉区の菅原邸において、
美しき乙女があられもない格好でソファーに寝転んでいるようです」
すると娘は、「あはは……」と笑い、「何してほしいの?」と
返してきます。その頃には私の怒りも解けて、
普通に会話ができるのです。
娘が幼いときからよく使った手なので、
娘も私に対してよく使います。
そんなことぐらいでと思うようなことで腹を立てて、
「もう!ちょっとやめなさいよ。ダメだって言ったでしょ!」
と声を荒げると、
「ご近所の皆さーんハートフルコミュニケーションの
菅原裕子さんは、ただいま幼児虐待中でーす」
「誰が幼児?」と、話は笑いの中で次に進んでいきます。
親父ギャグやだじゃれも役に立ちます。
ある家のお父さんは、話が深刻になってくると、
「よし、まずは飯にしよう」と言うそうです。
家族が「お父さん、ご飯なんか食べている場合じゃないでしょう」
と言うと、「だから食べるんだよ」と返すそうです。
私は思わず、「ご飯の後だったらどうするの?」
と聞いてしまいました。そのときはお茶だそうです。
必ずお茶菓子を添えて。
食べたり飲んだりして冷静さを取り戻してから、
話し合おうとする作戦のようです。
ユーモアなど言っている場合ではないときも、たくさんあります。
だからこそ、小さい問題には客観的になる努力をし、
ユーモアや面白みで乗り切るようにすると、
深刻な事態になることがあっても、
心の余裕を残しておけるのではないでしょうか。
「一生は続かない」というのは、今の身に埋没せずに、
ちょっと長い目で見て、今このときをほんの一時と見る見方です。
ほんの一時だから、逃げずに子どもと向き合えるのです。
「子どもの心のコーチング」より抜粋

私は、「この忙しいときに手伝おうともせず、
寝そべっているとは何事」とムッときます。
でもそんなことを口にしたら、
せっかく帰ってきてくれた娘に申し訳ないし、
一緒に夕飯を食べて楽しもうとしているときが台無しです。
そこでグッとこらえて「手伝ってくれる?」
と言っても、声に怒りが現れます。
こんなときに使う手が、感情とは全く違うことを言葉にすることです。
「新聞によりますと、横浜市青葉区の菅原邸において、
美しき乙女があられもない格好でソファーに寝転んでいるようです」
すると娘は、「あはは……」と笑い、「何してほしいの?」と
返してきます。その頃には私の怒りも解けて、
普通に会話ができるのです。
娘が幼いときからよく使った手なので、
娘も私に対してよく使います。
そんなことぐらいでと思うようなことで腹を立てて、
「もう!ちょっとやめなさいよ。ダメだって言ったでしょ!」
と声を荒げると、
「ご近所の皆さーんハートフルコミュニケーションの
菅原裕子さんは、ただいま幼児虐待中でーす」
「誰が幼児?」と、話は笑いの中で次に進んでいきます。
親父ギャグやだじゃれも役に立ちます。
ある家のお父さんは、話が深刻になってくると、
「よし、まずは飯にしよう」と言うそうです。
家族が「お父さん、ご飯なんか食べている場合じゃないでしょう」
と言うと、「だから食べるんだよ」と返すそうです。
私は思わず、「ご飯の後だったらどうするの?」
と聞いてしまいました。そのときはお茶だそうです。
必ずお茶菓子を添えて。
食べたり飲んだりして冷静さを取り戻してから、
話し合おうとする作戦のようです。
ユーモアなど言っている場合ではないときも、たくさんあります。
だからこそ、小さい問題には客観的になる努力をし、
ユーモアや面白みで乗り切るようにすると、
深刻な事態になることがあっても、
心の余裕を残しておけるのではないでしょうか。
「一生は続かない」というのは、今の身に埋没せずに、
ちょっと長い目で見て、今このときをほんの一時と見る見方です。
ほんの一時だから、逃げずに子どもと向き合えるのです。
「子どもの心のコーチング」より抜粋

■トラックバック
この記事へのトラックバックURL:/blog21/blog.cgi/20140120122636