「負けて気落ちした子へ…」 3/21(金)
空手、柔道、少林寺拳法、合気道……
心身が強くなって礼儀が身につく、
という親の思いもあるでしょう、
習っているお子さんが増えているようです。
いずれも、1対1の試合があります。試合は、
勝つ人がいれば負ける人もいるのは当然のことです。
勝ったときは別にいいのです。
本人は喜ぶし、親も「よかったね」
といっておけばそれで十分です。
肝心なのは負けたとき。
すんなりと「負けちゃったね」で、いいではありませんか。
子どもがくやしそうにしていたら、「くやしいんだね」
といってあげればいいし、まずは受けとめてあげるんです。
今後もがんばるようにお応援してあげたいなら、
大切なことは二つです。
まず、結果は負けたとしても、
よかった点をほめてあげること。
相手と比べてどこがよかった、ということではありません。
その子自身の成長に目を向けるのです。
「自分から前に出ていけるようになったね」
「落ち着いていたよ。相手の動きをよく見ていたね」
「最後まで試合を投げ出さずに立派だった」
「去年は打たれて泣いちゃったけど、
今年は泣かないでがんばったね」
もう一つは、子どもが「次こそは勝ちたい」
と思っているとしたら、そのためにはどうしたらいいかを
考えさせえることです。
どんな練習をすればいいのか、どんな点を克服すればいいのか、
どこを伸ばせばいいのか。具体的な目標を持っていれば、
稽古に臨む姿勢も変わってきます。
こうして、負けたときこそ、
次に飛躍するためのチャンスになるのです。
子どもは自分の心の中に挑戦への意欲を持っています。
何かに挑戦して、うまくいくと思ったら、
そこで満足して終わりなんて言うことはなく、
「よし!次ももうちょっとがんばってみよう」
と思うものです。
挑戦への意欲というのは、「絶対に負けられない」
と追い詰められているからではなく、むしろ、
「たとえ失敗しても、精一杯力を出せばいいんだ」
という気持ちがあってこそ生まれます。
自分の中に生まれた、「もっとよくなりたい」
という意欲で進んでいく子どもは、
うまくいっているときも、うまくいってないときも、
常に成長していくことができるし、
小さな失敗から学ぶことで、ここぞというときに
力を発揮できるようになるのです。
「子どもの『くじけない心』を育てる本」より
心身が強くなって礼儀が身につく、
という親の思いもあるでしょう、
習っているお子さんが増えているようです。
いずれも、1対1の試合があります。試合は、
勝つ人がいれば負ける人もいるのは当然のことです。
勝ったときは別にいいのです。
本人は喜ぶし、親も「よかったね」
といっておけばそれで十分です。
肝心なのは負けたとき。
すんなりと「負けちゃったね」で、いいではありませんか。
子どもがくやしそうにしていたら、「くやしいんだね」
といってあげればいいし、まずは受けとめてあげるんです。
今後もがんばるようにお応援してあげたいなら、
大切なことは二つです。
まず、結果は負けたとしても、
よかった点をほめてあげること。
相手と比べてどこがよかった、ということではありません。
その子自身の成長に目を向けるのです。
「自分から前に出ていけるようになったね」
「落ち着いていたよ。相手の動きをよく見ていたね」
「最後まで試合を投げ出さずに立派だった」
「去年は打たれて泣いちゃったけど、
今年は泣かないでがんばったね」
もう一つは、子どもが「次こそは勝ちたい」
と思っているとしたら、そのためにはどうしたらいいかを
考えさせえることです。
どんな練習をすればいいのか、どんな点を克服すればいいのか、
どこを伸ばせばいいのか。具体的な目標を持っていれば、
稽古に臨む姿勢も変わってきます。
こうして、負けたときこそ、
次に飛躍するためのチャンスになるのです。
子どもは自分の心の中に挑戦への意欲を持っています。
何かに挑戦して、うまくいくと思ったら、
そこで満足して終わりなんて言うことはなく、
「よし!次ももうちょっとがんばってみよう」
と思うものです。
挑戦への意欲というのは、「絶対に負けられない」
と追い詰められているからではなく、むしろ、
「たとえ失敗しても、精一杯力を出せばいいんだ」
という気持ちがあってこそ生まれます。
自分の中に生まれた、「もっとよくなりたい」
という意欲で進んでいく子どもは、
うまくいっているときも、うまくいってないときも、
常に成長していくことができるし、
小さな失敗から学ぶことで、ここぞというときに
力を発揮できるようになるのです。
「子どもの『くじけない心』を育てる本」より
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