『引っ込みじあんには…』6/18(水)
引っ込みじあんには、「ロールプレイゲーム」が効果的
「みんなで遊ぶのに、声をかけてもらえなかった……」
としょんぼりしている子どもがいます。
本当は誘われるのを待っているのではなく、
自分から誘えばいいのです。
ところが、自分から誘えない子どもというのは、
断られるのが怖いのです。断られる危険を避けて、
自分は安全なところにいて、
誰かが誘ってくれるのを待とうというのですから、
ある意味ではずるいのです。
子どもだけではありません。
多くの日本人は、大人も含めて、
そういう傾向があります。
言葉ではっきり「こうしてほしい」
「こうしたい」と言わない。
腹のさぐり合いをして、
「まあ、そこのところ、よろしく含みおきを」
「はあ、善処します」なんてやっています。
会社の中だって、誰が誘ってくれなかったとか、
あいつは俺を立ててないとか、
よくもめているではありませんか。
これからの社は、それでは通じません。
待っているのではなく、
自分から踏み出していく力が必要なのです。
子どもが「誘ってもらえなかった」と訴えてきたときは、
ちょうどいいチャンス。
「自分から誘えばいいんだよ」と教えてあげましょう。
誘っても、断られる場合もあります。
それがなぜイヤかと言えば、断られると、
まるで自分がきらわれたみたいに思ってしまうからです。
でも、そうとは限りません。
「遊ぼう」と誘って「ダメ」と言われたとき、
今日はちょっとつごうがわるいのかもしれないのです。
だから、もう一度聞いてみることが大事です。
「わかった。今日はダメなんだね、いつだったらいい?」
こちらが「遊ぼう」と言ったときに、みんながみんな、
「うん、遊ぼう」と答えるわけはありません。
その時間は習い事があるとか、
外で遊びたくないけど、家でゲームするならいいとか、
うちに来るのはダメだけど、行くのならいいよとか、
いろいろ事情があるものなのです。
自分から誘えない子どもには、お母さんが相手の役をやる
ロールプレイをするといいでしょう。
創作でお芝居のまねごとをするのです。
色々な状況を設定して練習させてあげるといいと思います。
「もっとうまく言えるでしょう!」なんて、
そんなに真剣になることはありませんから、
ゲームみたいな感覚でやってみましょう。
「子どもの「くじけないこころ」を育てる本」より抜粋

「みんなで遊ぶのに、声をかけてもらえなかった……」
としょんぼりしている子どもがいます。
本当は誘われるのを待っているのではなく、
自分から誘えばいいのです。
ところが、自分から誘えない子どもというのは、
断られるのが怖いのです。断られる危険を避けて、
自分は安全なところにいて、
誰かが誘ってくれるのを待とうというのですから、
ある意味ではずるいのです。
子どもだけではありません。
多くの日本人は、大人も含めて、
そういう傾向があります。
言葉ではっきり「こうしてほしい」
「こうしたい」と言わない。
腹のさぐり合いをして、
「まあ、そこのところ、よろしく含みおきを」
「はあ、善処します」なんてやっています。
会社の中だって、誰が誘ってくれなかったとか、
あいつは俺を立ててないとか、
よくもめているではありませんか。
これからの社は、それでは通じません。
待っているのではなく、
自分から踏み出していく力が必要なのです。
子どもが「誘ってもらえなかった」と訴えてきたときは、
ちょうどいいチャンス。
「自分から誘えばいいんだよ」と教えてあげましょう。
誘っても、断られる場合もあります。
それがなぜイヤかと言えば、断られると、
まるで自分がきらわれたみたいに思ってしまうからです。
でも、そうとは限りません。
「遊ぼう」と誘って「ダメ」と言われたとき、
今日はちょっとつごうがわるいのかもしれないのです。
だから、もう一度聞いてみることが大事です。
「わかった。今日はダメなんだね、いつだったらいい?」
こちらが「遊ぼう」と言ったときに、みんながみんな、
「うん、遊ぼう」と答えるわけはありません。
その時間は習い事があるとか、
外で遊びたくないけど、家でゲームするならいいとか、
うちに来るのはダメだけど、行くのならいいよとか、
いろいろ事情があるものなのです。
自分から誘えない子どもには、お母さんが相手の役をやる
ロールプレイをするといいでしょう。
創作でお芝居のまねごとをするのです。
色々な状況を設定して練習させてあげるといいと思います。
「もっとうまく言えるでしょう!」なんて、
そんなに真剣になることはありませんから、
ゲームみたいな感覚でやってみましょう。
「子どもの「くじけないこころ」を育てる本」より抜粋
