「勉強しなさい」とせき立てる…」7/1(火)
「勉強しなさい」とせき立てるクセをやめる」
小学校で、算数ドリルや漢字ドリルをどこまでやったか、
教室の後ろに表にして貼り出してある、
と言う光景をときどき見かけます。
授業参観や保護者会などで親がクラスに行くと
やはりわが子の進度が気になります。
「ドリル、ずいぶん遅れてるじゃないの。
今日からしっかりやりなさい。
このままだとビリになるわよ」
けれども、言っても言ってもろくにやろうとせず、
お母さんはイライラ、と言うことも起こります。
一度ビリになるのも、いいのではないでしょうか。
ビリにさせたくないというのも、
実を言えばお母さんが恥をかきたくないからかもしれません。
けれど、どうやって親が必死でお尻を叩いて勉強させていると、
勉強のことはお母さんに任せ、になってしまいます。
自分が困ったことになる前に、お母さんが先に困って
大騒ぎしてくれるのですから、子供にとっては、このほうが楽です。
すると、いつまでたっても、「ほら、勉強しなさい!」と
お母さんが言い続けることになります。
「今、ちょっとがんばっておけば、下から10番目くらいに
なるかもしれないかし、全然やらなければビリになっちゃう
と思うけど、あなたはどうなのかな」と聞いてあげればいいのです。
「いいよ、僕はビリだって」と言うのなら、
そのままにしていけばいいんのです。
そうなると、たぶん、通知表もさんざんな結果でしょう。
「やっぱり、これでいいのかな」「どう、ちょっと残念かない?」
と、そこでもう一度聞いてみて、「これじゃ、ちょっとイヤだなあ」
ということになれば、子どもはドリルをやらなかったという
失敗から学ぶことができます。
勉強しない子どもを叱りつけるのでもなく、
放っておくのでもなく、こうやって、
ときどき気づくチャンスをあげることです。
本人がその気になっていないときに、
親がお尻を叩いても動かないもの。
失敗して困ったな、と思った経験が、
むしろがんばる力を引き出すのです。
「子どもの『くじけない心』を育てる本」より抜粋

小学校で、算数ドリルや漢字ドリルをどこまでやったか、
教室の後ろに表にして貼り出してある、
と言う光景をときどき見かけます。
授業参観や保護者会などで親がクラスに行くと
やはりわが子の進度が気になります。
「ドリル、ずいぶん遅れてるじゃないの。
今日からしっかりやりなさい。
このままだとビリになるわよ」
けれども、言っても言ってもろくにやろうとせず、
お母さんはイライラ、と言うことも起こります。
一度ビリになるのも、いいのではないでしょうか。
ビリにさせたくないというのも、
実を言えばお母さんが恥をかきたくないからかもしれません。
けれど、どうやって親が必死でお尻を叩いて勉強させていると、
勉強のことはお母さんに任せ、になってしまいます。
自分が困ったことになる前に、お母さんが先に困って
大騒ぎしてくれるのですから、子供にとっては、このほうが楽です。
すると、いつまでたっても、「ほら、勉強しなさい!」と
お母さんが言い続けることになります。
「今、ちょっとがんばっておけば、下から10番目くらいに
なるかもしれないかし、全然やらなければビリになっちゃう
と思うけど、あなたはどうなのかな」と聞いてあげればいいのです。
「いいよ、僕はビリだって」と言うのなら、
そのままにしていけばいいんのです。
そうなると、たぶん、通知表もさんざんな結果でしょう。
「やっぱり、これでいいのかな」「どう、ちょっと残念かない?」
と、そこでもう一度聞いてみて、「これじゃ、ちょっとイヤだなあ」
ということになれば、子どもはドリルをやらなかったという
失敗から学ぶことができます。
勉強しない子どもを叱りつけるのでもなく、
放っておくのでもなく、こうやって、
ときどき気づくチャンスをあげることです。
本人がその気になっていないときに、
親がお尻を叩いても動かないもの。
失敗して困ったな、と思った経験が、
むしろがんばる力を引き出すのです。
「子どもの『くじけない心』を育てる本」より抜粋

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