「変化と進化の3月」2/23(日)
≪いまここ≫ブログより転載
自分がごくごく当たり前の人間で、
ごく普通の存在だと気づいたときのことは
忘れられません。
まるで九十九里浜の砂粒のひとつみたいな、
本当に取るに足らない存在だったことへの気づきです。
それまでの特別意識が強かった分だけ、
気づきがもたらしてくれた解放感は、
それはそれは大きなものでした。
抱えていた重荷も消え去りました。
そして思いました
「なんて素晴らしいんだ」
人からの評価を求めて悪戦苦闘していた日々が滑稽に見えてきました。
勘違いのなせる業(わざ)。
哀しいくらい生真面目に、自分を良く見せようとしていたことが可笑しくて、
腹から笑いました。
でもその笑いは、それまでの自分を馬鹿にしているわけではなく、
それまでの生真面目さが何とも意地らしく、愛おしいのです。
この笑いこそが、芯からの癒しだったと思います。
人の目や、人の評価から自由になるのは、
自分自身の人生を生きる上での原則です。
本当は自由なのに、
自由ではない気がしてしまった錯覚を見抜くことです。
これは僕から見ると、
個人的な錯覚と言うよりは集団催眠みたいなものです。
社会全体が催眠状態の中にあるように見えます。
肉体を持って生活しているので、国民としての義務を担い、
制度としての社会には所属していますが、
自分の存在は社会に属していません。
精神は全くの自由です。
誰かになる必要もなく、何かを成し遂げる必要もなく、
今日も当たり前に生きています。
人生は与えられた義務ではなく、
自由に遊ぶための道楽です。
しかも天がめんどう見てくれるから楽チンです。
こういう生き方は、運でも才能でもなく、
「気づき」から始まるもので、あらゆる人が
その可能性を秘めています。
生きたいように生きようよ。
どうせ人は、見たいように見て、
言いたいように言うんだから。
その人が見たあなたは、あなた自身じゃなくて、
その人の世界観の投影だよ。
あなたとは、まったくなんの関係もない。
それがわかれば、はい、お疲れ様でした。
こっち側においでよ。
楽しいよ。
≪転載終了≫
僕もまったくこういった人生を生きてきました。
今は、何があろうと人の言葉や目をまったく気にすることなく
シンプルに自分の「いのち」のありのままを生きる
ということがとても自然で気持ちいいです。
それが一番楽ですから。
相手を思いやっていける気配りは必要ですが
人に良く思われたいばかりに気を使って生きることは
どんな゜立場に立たされようと
良心に嘘をついているわけで気持ち悪いので、
真っ平御免です。
有難いことに、また一つの事象を通して
急速に「この指とまれ」「シンプルで単純」の方向に
向ってます。有難い。
3月は変化の月です。
変化を嫌ったり、頑なになったり、自分を守ろうとしたりは、
とても大きなリバウンドがきます。
ということで、よくよくそのことを心得て
進化と変化の渦に乗っていきましょう。
生かしていただいて ありがとうございます。
自分がごくごく当たり前の人間で、
ごく普通の存在だと気づいたときのことは
忘れられません。
まるで九十九里浜の砂粒のひとつみたいな、
本当に取るに足らない存在だったことへの気づきです。
それまでの特別意識が強かった分だけ、
気づきがもたらしてくれた解放感は、
それはそれは大きなものでした。
抱えていた重荷も消え去りました。
そして思いました
「なんて素晴らしいんだ」
人からの評価を求めて悪戦苦闘していた日々が滑稽に見えてきました。
勘違いのなせる業(わざ)。
哀しいくらい生真面目に、自分を良く見せようとしていたことが可笑しくて、
腹から笑いました。
でもその笑いは、それまでの自分を馬鹿にしているわけではなく、
それまでの生真面目さが何とも意地らしく、愛おしいのです。
この笑いこそが、芯からの癒しだったと思います。
人の目や、人の評価から自由になるのは、
自分自身の人生を生きる上での原則です。
本当は自由なのに、
自由ではない気がしてしまった錯覚を見抜くことです。
これは僕から見ると、
個人的な錯覚と言うよりは集団催眠みたいなものです。
社会全体が催眠状態の中にあるように見えます。
肉体を持って生活しているので、国民としての義務を担い、
制度としての社会には所属していますが、
自分の存在は社会に属していません。
精神は全くの自由です。
誰かになる必要もなく、何かを成し遂げる必要もなく、
今日も当たり前に生きています。
人生は与えられた義務ではなく、
自由に遊ぶための道楽です。
しかも天がめんどう見てくれるから楽チンです。
こういう生き方は、運でも才能でもなく、
「気づき」から始まるもので、あらゆる人が
その可能性を秘めています。
生きたいように生きようよ。
どうせ人は、見たいように見て、
言いたいように言うんだから。
その人が見たあなたは、あなた自身じゃなくて、
その人の世界観の投影だよ。
あなたとは、まったくなんの関係もない。
それがわかれば、はい、お疲れ様でした。
こっち側においでよ。
楽しいよ。
≪転載終了≫
僕もまったくこういった人生を生きてきました。
今は、何があろうと人の言葉や目をまったく気にすることなく
シンプルに自分の「いのち」のありのままを生きる
ということがとても自然で気持ちいいです。
それが一番楽ですから。
相手を思いやっていける気配りは必要ですが
人に良く思われたいばかりに気を使って生きることは
どんな゜立場に立たされようと
良心に嘘をついているわけで気持ち悪いので、
真っ平御免です。
有難いことに、また一つの事象を通して
急速に「この指とまれ」「シンプルで単純」の方向に
向ってます。有難い。
3月は変化の月です。
変化を嫌ったり、頑なになったり、自分を守ろうとしたりは、
とても大きなリバウンドがきます。
ということで、よくよくそのことを心得て
進化と変化の渦に乗っていきましょう。
生かしていただいて ありがとうございます。
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