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2017年12月5日

「お金の因子」12/5(火)
私は会社を経営していくとき、
お金に対してはっきりと決めていることがあります。


もし、
相手に感謝ではなく、文句や恨みや嫌な思いがある場合、
仕事の対価としてもらえるはずのそのお金であったとしても、
決して受け取ることではない。
いや、絶対に受け取らない、というものです。


ですから、
お客様のクリーニング品をお返しする時、
万が一、お客様からあれこれと文句や不満が出る時は、
たとえ相手から言われる筋合いはなくても、
一切お金を受け取らずに、
仕上がった品物をお返しする。


または、
お金をきっちりお返しする。
但し、それ以降のお付き合いは、
よほどのことがない限り
縁がなかったとキッパリあきらめる。


そういうケチのついたお金を受け取って
こちらも気持ちが良いものではありませんし、
また、そういった信頼感が結ばれない相手様と
お付き合いしてもお互いに
何らメリットがありません。


とにかく
お客様に「ありがとう」の感謝の気持ちがない限り、
受けとったお金は生きることがありませんし、
お互いが喜ぶことはありません。


だから、
私にしても、法子さんにしても、
くどいぐらいに仕事に対してスタッフたちに注意するし、
詰めの甘さや、デリカシーのなさを
日々叱り飛ばします。


そして、
会社での仕事も
「ありがとう」の感謝の気持ちで
「してやってる」ではなく「させていただいている」
感謝の立ち位置を置くように
教育していきます。


この感謝の気持ちは
育てていかないと、自然と生まれる
ものではありません。


だから、
うちの会社では、
こういった礼節や人の道には
めちゃくちゃ厳しいのです。


今、
毎日、相撲界の内実をテレビで
放送していますが、あれだけの不祥事が起こっても、
相変わらず夜中でも飲み歩く力士たちの姿を見るにつけ、
わが子ならば、叱り飛ばして
すぐにでも相撲を辞めさせ、
地道に働く世界に引き戻すでしょう。


だから、
貴乃花が伝えたい
神事である相撲道とは何かが、
痛いほどわかります。


感謝と謙虚さ、
うやまいと礼節。


そういう世界を生き、
少年たちに正しい道を示してほしいものです。
また、親方衆も一緒。
謙虚に道を歩まなければならない。


ですから、
あたりの前のことですが、
仕事をしてくれているスタッフたちには
「今月もありがとう」の感謝の気持ちで給料を渡していく。
「よくやってくれてるなあ」と、ねぎらいの気持ちで
パンやお弁当を買ってくる。


また、
スタッフたちの
ご家族の慶弔には義務ではなく感謝とねぎらいで
「志」の気持をさせていただく。


そういった
「感謝とねぎらい」のお金が、
給料が、そのスタッフとそのご家族を守ります。
また、スタッフたちが働いている会社を守ってくれます。


そのお金で、
安全な清潔な場所を住まいとすることができます。


そのお金で、
健康的な食事を摂ることができます。


そのお金で、
親しい人との思い出を共有することができます。


そのお金で、
困った人たちへ支援や寄付ができます。


≪まるぞう備忘録≫より転載

世の中には恨みがまとわりついたお金もある。

 しかしこの社会の仕組み。正反対のこともあります。
相手から感謝されずに、逆に恨みの感情をつけたまま、
お金を受け取ることもできます。

 畜生。騙された。そういう恨みの感情で。
しかし世の中は騙された方が悪い。世の中そういう面も
あります。不承不承、心の中で泣きながら、お金を払うこ
ともあります。そうして稼いだお金。そうして受け取った
恨みの感情であります。


 相手から感謝される「どうもありがとう」という感情。
これはその人を守ります。しかし「畜生。騙された。」
そういう恨みの感情。これはその人を損なって行きます。


 真面目な庶民ほど尊い。陰日向無く、見かけの損得
に関係なく、自分の仕事で、自分や家族を地道に養える人。
これが一番尊い。なぜならば、その人が稼ぐお金は、
社会から「どうもありがとう」という、感謝の気持ちのお金
だからです。
 お金の金額は決して多くはないかもしれませんが、
どうもありがとう純度が高い給料でありますから。
 その感謝の気持ちは、御本人と家族を守ります。

 逆に「悔しい」感情がべったりこびりついているお金。
銀行通帳のゼロの数は多いかもしれません。しかし
そんなお金は、本人とその家族をゆっくりゆっくり蝕んで
いきます。


お金を支払った人の感情。それはお金についてくる。

 多くの人はお金には色がないといいます。
良いお金も悪いお金も同じだといいます。しかし本当は
違います。お金に色があります。感謝の色のお金もあれば、
恨みの色のお金もある。
 恨みの色の大金を稼いでいる人は、観えていないゆえに。
恐ろしいことです。

 株で稼ぐのはどうでしょう。
 自分が応援したい会社に、その応援の気持ちとしてその
会社の株を買うことは良いことです。儲からないかもしれない
けれど、10年20年スパンで持ち続ける。そういう応援の心の
株は良いことです。
 その会社の事業が成功した時、配当として報われます。
 「うちの会社を応援してくれてどうもありがとう。おかげさまで
成功することができました。」
 そのように感謝の気持ちが、配当というお金で配られます。
そのお金は良いお金です。あなたや家族子孫を守ることでしょう。


 しかし株を短期で売買して儲けを出す。このお金は怖いお金です。
株の売買は、まず証券会社が手数料を取ります。そして残った
お金を半分個。負けた人から巻き上げて、買った人に渡す。
そういう仕組です。


 株で儲けた人のお金。それはどこから来るのでしょう。
だれかが「あなた、どうもありがとう」そういってくれるのですか?
ちがいます。負けた人達の「畜生」というお金。その負けた人達の
お金を巻き上げて、証券会社が手数料を取った残りを、
一部の勝った人に配るのです。


 株の短期相場で勝負する人。その人の大半は、お金を巻き上げ
られます。畜生あの時売って、あの時買ってりゃ。その後悔と恨みの
気持ち。大切な財産をつぎ込んで溶かしてしまった。家族の恨み。
そういうった負の因子がついたお金を、みんなで我先に奪い取ろう
とする世界。怖い怖い。


なぜ宝くじを当てた人は不幸になるのか。

 宝くじで大金を得た人。そのあと不幸になる人が圧倒的に多い。
そのような調査があります。
 宝くじの賞金。もしお金の色が観えるなら、それは魑魅魍魎の
因子の塊であることでしょう。楽して儲けたい。楽して儲けたい。
俺が欲しかったそのお金。お前が持っているのか。羨ましい。恨
めしい。
 そういう魑魅魍魎の因子。それが何億円分も凝縮されて、
本人の口座に振り込まれるのです。

 何十万円かのありがとう。という気持ちの、毎月の給料のお金
とは、同じお金であって、同じものではありません。


犯罪で奪ったお金にまとわりつく負の因子。

 株相場でも宝くじでも、私は好みませんが合法です。一番怖い
のは犯罪を犯して得たお金です。
 悪銭身にづかず。これはそのとおりでありましょう。犯罪を犯して
得たお金。これは本人または家族を大きく傷つけることでしょう。
お金としては普通にものを買うことができます。しかし彼がその
お金と同時にしまいこんでしまった負の因子。


 場合によっては彼の命の危機にもなるかもしれません。
本能的に、身を守るために彼はそのお金を手放すことも多いで
しょう。無駄遣い。散財して、なるべく身体から離したい。それが
彼の無意識の生存本能なのかもしれません。
 悪銭身につかず。それは彼が自分を守るための結果でありま
した。


 ただそのお金を手放したからといって、彼の負の因子が昇華
されるわけではありません。少なくとも最低でも社会において正当な
裁きを受けなければ。逃げ得のうちは、彼はその負の因子からは
逃げられません。


 世の中には、せっかく稼いだ大金を、無駄遣いして生きている
ように見える人がたまにおります。その人は、ひょっとしたら、
そのお金にまとわりついた負の因子を、本能的に払い除けたい。
そのように感じているのかもしれません。


 「今月もどうもありがとう。」正当な仕事で汗をかいて稼いだ給料。
それは尊いお金です。御本人と家族を守ります。≪転載終了≫


私は
お寺の住職でもあるのですが、
お寺の修繕や修復にしても出来るだけ門信徒の方々から
頑張って寄付をいただかないことにしています。


それは、
他のお寺の寄付をしている人たちの言葉が
よく耳に入ってきましたが、悪口や愚痴や文句はあっても、
気持ちよく寄付をするということはよほどで無い限り、
なかなかないものです。


それでは
寄付を嫌がる門信徒の方々に
結局は心の罪を作らせてしまうし、
結果的には無理やりいただいたお布施のお金の負の因子は
お寺や、お寺の家族をゆっくりゆっくり蝕んでいきます。


ですから、
まず、住職である私が修繕や修復金額を払うために
仕事で頑張ってお金を貯めていく。
その金額だけではどうにもなりませんから、
仏縁ある仲間たちに主旨を話し、
寄付の協力を呼びかける。


こういう場合は、
感謝と共感寄付ですから、
お寺やお寺の家族を守るし、
感謝で寄付してくれた仏縁ある仲間や、
その家族を守っていきます。


感謝とお陰様の世界は
とにかく物事がスムーズに流れていき、
すべてがうまくいきます。


その逆は、
自分のいのちがしんどいし、
負の因子が拡大していきます。


私は、
そういう負の世界、自分の心にうそをつく、
虚偽の世界は到底生きれない。
だから、自分がまずドン臭くても仏さんの道を生き、
その生き方に共感してくれた人たちに協力してもらう。
これは、人から陰で何だかんだ言われたしても、
自分なりに歩んできた嘘のない道です。


そうやって人の目ではなく、
自分の心に素直に従って生き、
純粋に理想を追い求めていく人生を生きれば、
その結果がどうであろうと、
この世を去っていくときに、
何ら航海はりません。


「いろんな人に迷惑もかけたが
やりきってきたなあ・・」と、納得して
お浄土に還っていけます。


た゛からとにかく
そういった生きるスタンスは
お寺だけでなく、この会社でもまったく一緒です。


いや、
お寺よりも
ウォータークリーニングという
衣類をキレイにする仕事を、理想を追及することによって、
多くの人々から感謝と喜びのお金の因子を
受け取りやすいのです。
逆に手を抜いたり、心配りがないと、
すぐに厳しいお叱りを受けます。


だからこの仕事は
とっても分かりやすく遣り甲斐があります


今日も、
本店に訪れる人たちの顔を見ていると、
とっても明るくて感じがよく気持ちいいです。
こういった歓びのの輪を、感謝のウォータータークリーニング
でもっともっと広げていきたい。


これは伊勢丹も、三越もです。。
さあ、「ありがとう」の感謝とねぎらいで、
理想目指して、感謝の因子のあるお金が
いっばい集まってくるよう、
頑張っていきましょう。

11:16, Tuesday, Dec 05, 2017 ¦


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