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2019年 9月4日

「私を主語にしない生き方」9/4(月)
PHP10月増刊号
「50代からの生き方のうまい人、へたな人」


こういった本は必ず
会社の帰りに立ち寄るセブンイレブンでついつい立ち読みして
買ってしまいます。


この本の中のスペシャルトークで
漫画家の黒鉄ヒロシさんが、【「私」を主語にしない生き方を】
~いかに自己犠牲的に、謙虚でいられるか・・。五十代からは、
粋に生きて、笑って死にたいものです。~
といったものがありました。
下記内容はこのコーナーのポイントの抜粋です。


私は五十代はとっくに過ぎた六十代前半ですが、
年相応に円熟しているかというとまったくそうではないので、
この年になってもまだまだ学ばなければならないことが
山ほどあると実感しています。


この中に、
五十代にもなって、マナーさえもしっかりできていないのは
どうかと思う、と書かれてます。


例えば、何かしてもらったら必ず礼状を書くのは当たり前。
これは五十代でなくても人間としての最低限のマナー。


それから、自慢をしない、というのも五十代からの生き方
では大切だと。
黒鉄さんはこうおっしゃてます。なぜか五十を過ぎて、
急に自慢を始める人が多い。大物の名前を言って「私は、
誰誰を知ってる。誰誰と親交がある」とか、私はそれを、
「悲鳴」だと思って聞いてます。


私はこんなにスゴイ人間で頑張ってるのに、
周りが評価してくれないから、たまらず自分で叫び出す。
そういう人は自慢がいかに品が悪くて、みっともないか、
肝に銘じておくびきです。


もっとも50代以上になれば、その道のプロになっている
人も多いでしょうから、自慢するつもりでなくても、プロ
としてふるまえば自慢のようになってしまうこともある。


しかし、だいたい、五十代以上になったら、人より上手
なのは恥ずかしい、くらいの謙虚な気持ちでいたほうが
いいと思います。


それと自慢と似ていますが、「私が」「私が」と主語を
頭に持ってくるのも感心しません。
五十も過ぎれば、みんな本音は「私が」「私が」なんです。
そこに気づいて、「私」を押える練習をしておかなければ
ならないのに、一体五十になるまで、何をやっていたんだと
思いますね。


五十代以上になったら、
高笑いして消えていく覚悟をつける時代ではないでしょうか。
そもそも人は生まれた瞬間から、死に向って歩いている
のですから、最後は高笑いして死んでいけるように
訓練を重ねておくべきです。


つまり、死に方のスタイルを決めるのが五十代
なのかな、と思います。


●最低限のマナーを心得る。

●決して自慢をしない。

●「私」を抑える。
                     転載終了


このコーナーを読み終えて、
私は六十代のくせに、まだまだだなあ・・・と。


そして、あらためて今後の生き方の中での
自身の流儀が絞り込めたというか、「ナチュラルクリーン物語」
折り返しに入ったばかりで丁度いい教訓をいただいたと感謝
しました。


出来ているようで出来ていないことばかり。
意識しているようで流されてしまっていることばかり。


いいタイミングでした。感謝でした。

20190904

千葉市内からの帰りには必ず市原サービスエリアに寄って
野菜のかき揚げそばとカツオのお結びを食べます。
これが美味しんだなあ・・・(*^-^*)

20190904b

そしてここの食パンは有名で美味しいよ。ジャムつけて食べます。

10:03, Wednesday, Sep 04, 2019 ¦ ¦ コメント(0)