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「命懸け」5/14(月)
2年前の明日という日。


昨日は孫の瑛心がこの世に誕生した日です。


2年前出産のお祝いに千葉からは法子さんが。
そして妻と義母と共に広島市民病院に駆けつけました。


そして千葉に戻った4日後の夕方の仏参後、
法子さんが大動脈乖離で意識を失い、君津中央病院へ
救急車で運ばれ10時間の緊急大手術を行いました。


それから後3日後の木曜日でまる2年経ちます。


この2年間というものは本当に寝たり起きたりで、
随分回りは心配したものです。
朝のご自宅の電気が灯っているといつもホッとします。


出来るだけ朝夕の散歩を続けることによって体力も当初
から比べれば随分ついてきました。


ただ、
何事も一生懸命で妥協がないので、
仕事の方に顔を出すと突っ込みすぎて「ヤバイ!」という
こともあり、そばで見ていてヒヤヒヤすることも多々あります。


ただ、彼女は超真面目で歩く道徳そのものですから、
自分の命を削ってまで相手にぶつかっていって本当のことを
命がけで伝えようとします。


人はよく「命懸け」と口にしますが、

●一生懸「命」

●全身全霊を懸けて

●命と引き換えてでも

●何をおいても完全燃焼する


何をするにしても彼女は以上のような決意の思いが強いです。
人間が何かを真剣に追求する姿とは、
何か危険で、鬼気迫る、そして「美しい」ものです。


つまり、人が一生懸命にすることが「道」になるのです。


そして志と夢を追い求める「道」が、自分や家族を食べさせて
くれる道にも、本当に命がけならばなるのです。


いつも法子さんが、うちのスタッフたちを厳しく叱って
ボロクソに言うのは、何をやらせても考えや詰めが「甘く」、
「道」を歩んでいるのではなく、「道」に憧れているだけになってしまっている
からです。


本当に「道」を力強く歩んでいる人は、言い訳無用で潔い。
そういった自立した一生懸命な人の姿は実に美しい。
それはまるで夜空の星のように、輝いているです。


彼女はまさしくそういう清く正しく美しいを絵に描いたような
潔く爽快な生き方をしています。


私もいろんな人に出会ってきましたが、
あそこまで懸命に命がけで自分の人生を生きている人をいまだ
見たことはありません。


また、あそこまで他に対する慈悲心を深く強く
持っている人に出会ったこともありません。


私はその自然な姿と純粋な気配り行動から沢山の学びを得てきました。


また本気で私にぶつかって叱ってくれました。


そのお陰で随分私も変わっていきました。


だから彼女は私にとって、まさに「いのち」の恩人といってもいいです。


そういった実に大きな存在である彼女が、
一日一日を無理をせず豊かに自身のいのちを生きて欲しいと心から
願っています。


そのためなら、
恩返しとして私は感謝でなんでもさせてもらいたい。


これは私だけでなく、
彼女にかかわっている人たちはみんなそう感じているのではないかと、
思います。


とにかく、
元気が一番!!


あと23年!!頑張れ!法子!!


みんなも
常に油断せず危機管理意識を持っていてください。


意識が向いてるものはすべて大難が小難になっていきますから。

17:24, Monday, May 14, 2018 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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