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2018年 1月15日

「自我と良心」1/15(月)
千葉そごうに仕事に行って、
ウールリッチのポケットに入れていた
千円札八枚、つまり八千円を落としました。


「あっ、あのショップだわ・・・・」


すぐに電話連絡して店員さんに探してもらいましたが、
「すいません。みつかりませんでした」でした。


「そうかあ・・・・、誰かの寄付になったなあ・・・、まっそういうことか」


残念ですが、しょうがないです。


本当におっちょこちょいなので、こういったことって、
結構あります。


ただ、落とした私が悪いのですが、
お金を拾った人はどうなってくのだろう?


「うしっしっ・・・」でしょぅか?
でも良心がありますからねえ。


≪まるぞう備忘録≫より転載

目に見えることと目に見えないこと

 たとえば、ある人を騙してお金を儲けたとします。
「お金が儲かった」という事象が客観的事実であります。
現実に通帳口座の数字の桁数がドンと増えております。
うししし。騙されるやつが悪いんや。うしし。

 しかし目に見えない潜在因子では大きな負債を抱える
ことになります。しかしこの因子は測定できませんし証明
することはできません。その人の隠れた良心が疼く(うずく)
かどうかだけです。

 逆に、たとえば、要領が悪くても、陰日向無く誠意を持って
仕事をし続けた人がいるとします。その人は要領が悪いので、
業務評価も高くなく、残念ながら給料も安月給のままです。
 客観的事実は、給料明細の低い数字であります。これを
他人と比べるのであれば、みじめな気持ちになっているかも
しれません。

 しかし目に見えない潜在因子では大きな貯金を蓄積して
いると言えます。しかしその貯金は測定することはできませ
んし存在を証明することはできません。
 ただただその人の良心が「満足」しているかどうかだけで
あります。


目に見える数字と他人の比較が何よりも大事な現代。

 自我の濃い〜この現代文明。目に見える数字。他人との
比較だけが大きい価値を持ちます。
 しかし人の自我が薄くなるとこの「陰と陽」が逆転し始める
のであります。


自我が薄くなると逆転し始める価値観。

 たとえば人を騙して得たお金。通帳の数字が大きくなって
いますが、一体これは何の意味があるのだろう。そのように
思い始めます。
 実際自分が死ぬ時、その通帳の数字なんてあの世には
持っていけません。この数字は幻想の数字なのでありました。

 逆に自我が薄くなり始めますと、良心の疼きの声が大きく
なって行きます。人を騙して、その人がコツコツ貯めた大切な
お金を騙し取った。なんて非道いことをしたのだろうか。そう
いう「良心の呵責」が現実の重みを持ち始めます。

 自分が死んであの世にいっても、この良心の呵責が「実在」
であります。通帳の数字は「幻想」であります。
 今まで現実と思っていたことが幻想であり、今まで幻想と
思っていたことが事実であります。

 逆にたとえば、報われなくても陰日向無く人に誠意を尽くして
きた人生。
 他人から評価されなかったこと。実はこちらこそ幻想であるこ
とがわかります。人が自分のことを認めてくれているかどうか。
そんなことは幻想でありました。
 それより、人が喜んでくれていたこと、感謝してくれていたこと。
そして何より自分の良心が「満足」していたこと。
 これが実際の重みを持っていることに気づき始めます。

 自分が死んでこの世を離れる時、人からの評価なんて幻想で
あったことに気づきます。だいたいその人たちの多くはもう死んで
おります。結局10年20年たったら、そんな他人の評価や比較は
意味がありません。これこそ本当の幻想でありました。

 しかし自分の良心が「満足」していたこと。これこそ本当に自分
の人生の宝でありました。自分も知らなかったけど、これほどたく
さんの人に喜ばれて感謝されてたんだ。自分の人生を終える時に
始めて知ることになるかもしれません。

 その時に改めて思うことでありましょう。やはり「良心も満足」が
「現実」であった。他人からの評価は「幻想」であった。と。
 このように自我が薄くなり始めますと、陰陽の「現実」と「潜在」の
事象が逆転し始めるのでありました。

 「現実」と思っていたことは「幻想」でありました。数字で示される
富、他人との比較の勝ち負けこれらは「幻想」でありました。
 「幻想」と思っていた潜在因子こそ「事実」でありました。自分の
良心が「苦しい」ことなのか、あるいは「満足」することなのか。
これだけが重みをもった「事実」として認識され始めます。
                               ≪転載終了≫

自分の良心がモヤモヤして「苦しい」ことなのか。
あるいはスッキリして「満足」することなのか。


自我が薄まれば薄まるほど自我に酔っぱらっていた自分が素面
に戻って、良心に反することにとっても敏感になっていきます。
また、良心がスッキリ「満足」することをやりたくなっていきます。


そういう会社を目指して今までやってきました。
お陰様で、そちらに向かってどんどん純化されていってます。


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12:00, Monday, Jan 15, 2018 ¦