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「次の世代」6/18(月)
どんどん知り合いの門信徒の方たちが亡くなっていきます。


よくお寺にお参り来られるおじいちゃんやおばあちゃんたち。


門信徒の報恩講で楽しくお話しさせてもらっていたおじいいちゃん
おばあちゃん。


どんどん亡くなっていってます。寂しい限りです。


今年の九月から娘の輝香が中央仏教学院の通信課程を受けます。
そして僧侶の資格を取得します。


うちのお寺は家族全員(寺族)でプロテスタントの教会のように、
全員仕事を持ちながら門信徒の役員さんたちと共にボランティアで
運営されているお寺です。


ですから家族全員僧籍をもってそれぞれが協力し合って
仏事を行っていきます。


家族の中でも娘は(特に子どもたち)誰からも好かれる子なので、
門信徒の皆さんとのお付き合いや人間関係づくりもとても自然に
行っていくでしょう。


ただ主力となってお寺に関わってくださっていた門信徒の方々が
どんどん亡くなっていかれるし、私の住んでいる町は過疎で
子どもも少なくなっていっていますから、やはり将来に対しての
不安もあるようです。


それでも、うちは保育園を経営していますから、

子どもが少なくなっても一人ひとりの子どもたちに仏さまのお心を
伝える「まことの保育」を実践して子供の心に温かい心を育てて
いくことはできます。


やはり彼女のやらなければならない一番大切なことは、
その「まことの保育」の実践でしょう。そして日祭日は、お寺の行事
や法事等の仏事を家族と協力し合いながら務めていくことでしょう。


「お父さん、生きているうちは頑張ってお寺の環境整備や修繕を
やれることは全部やっておいてね。私らはようやれんけん」。


笑いながら娘が本音を漏らしてました。


どんな環境になろうとも、自分に与えられた役割を全うしていくこと。


愛情の視点をもって頑張っていくこと。


愛情の視点とは「ほおっておけない」視点。


過去で人口が減っていく。だからこそ仏事を必要とする人はいるし、
保育を求めている家族もいるわけで、そういう人たちをほおって
おくことなく、だからこそ積極的に関わって安心を与えていく。


それは正直言って宗教組織ではなく、それぞれの感謝の生き方が
伝わっていくことによって安心は生まれるのです。


時々伊勢丹のスタッフがたとえば「ウォータークリーニングさんって
宗教よね」と言ったとしても、他のスタッフたちが「違う、違う、ウォー
タークリーニングさんは社員全員がよりよく生きる道を歩んでる、
宗教じゃないよ」と、逆に周りが「そうじゃない」って言いきってくれるらしい。


日本では宗教というと、どうしもカルト的、祈願や妄信的な偏った教えや
組織というイメージが強いです。


本来宗教とはそういったものではないのですが。


一般的に宗教や宗派とはその人の家のご縁から生まれます。
うちの場合はそうじゃなくて人間としての生き方を学び、それを実践して
いく。自分も他人の喜べる人生を、仕合せな人生を生きていこうとする。


人間はみな自分の中にある仏性に気づいて、昔も今も仏さまと
共にあったということに気が付くと、生き方も変わります。勇気が湧き、
悪いことはできなくなります。


そして自分の心の根っこを大切に育てると、心が明るくなり、
自分の現状が明るく照らされて進むべき道もよく見えてきます。
心の中の仏さまが外に現れてくる。それが周りに良い影響を与えて
いくんです。


とにかく、そういうことで、私は一つのお寺という組織を守ろうとするのではなく、
逆に過疎であろうが、周りの人たちと共に有難いご縁をいただくという環境を
与えられているということを家族には感謝し、喜んでほしいと思っています。


量より質なのですよ、人間の生き方は。


03:42, Monday, Jun 18, 2018 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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