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2016年 3月10日

「追悼法要ということ」3/10(木)
明日は「東日本大震災追悼法要を」お勤めするため、
坊守(家内)に頼んで、白衣、黒衣、大五条袈裟、袴、中啓、
二連珠、足袋、下駄の法要一式セットが今日会社の方へ
送られてきました。


そして、法子さんの机の上には明日お供えする
御花や果物や饅頭などの供物が並んでいました。


明日は「追悼法要」です。


決して「慰霊祭」でも「追善供養」でもありません。


追は訪ね求めていくこと、悼は高くすぐれた心の人となること、


法要とは、仏法を中心として集まった人たちや亡くなった人たち
と感謝で通い合うことです、


お葬式には必ず読む御文章に「白骨の御文章」があります。


この最後に、
「されば、人間のはかなきことは、老少不定のさかいなれば、
たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏と
ふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり」とあります。


「人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば」
とは、人間のはかなさということは、年寄りであろうが、若かろうが、
まったく年齢に関係なくすべての人の姿なんだ、ということです。


次に、「たれの人も後生の一大事を心かけて」とは、
後生とは後に生まれる生、後に生まれる世界という意味です。


続いて、「阿弥陀仏とふかくたのみまいらせて」とありますが、
この「たのむ」とは、仏さんに依頼するとか、お願いするということじゃなくて、
深く本願(仏さんの必ず救うという誓い)を信じるということです。


仏さんは、
大無量寿経の中で、人間は死んだらおしまいじゃあないよ。
人生を過ごした後に、無量寿仏国に生まれていくんだよ、
と教えて下さっています。


3:11から5年が経過して、
一般的に多くの人々の「いのち」の平安を願いますが、
人が懸命に生きようとしていた上での自然災害や天災による死は、
仏さんの大慈悲心によって、一人ひとりの「いのち」は安らかに
救われ「無量寿仏の国」に生まれていらっしゃるのです。


つまり、多くの方々が震災によって亡くなられてからの
世界が明らかになることによって、自分が死ぬという問題、一番
嫌がってた、触れたくなかった死という問題すら「浄土に生まれていくんだよ」
と、解決していくわけです。

DGH

「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え」
という言葉があるんですが、先に浄土に往生した者は、後に残った人々を
導いて下さっているわけてす。

KGH

だから明日は「迷わないでね」「悲しまないでね」「化けて出ないで」という
集いじゃない。後に生まれた私たちを導いて下さっていることを感謝し
ながら仏法を味合う集いなのです。

JGJ

まさにそういった私にとって一大事の日が、明日の「追悼法要」なのです。



18:12, Thursday, Mar 10, 2016 ¦ ¦ コメント(0)