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2018年 3月11日

「7年前のこと」3/11(日)
こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと 「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。

そうして、あとで さみしくなって、
「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 

こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。

金子みすゞ


7年前の今日、
あの東日本大震災が起こりました。


私は整体院のベッドの上でマッサージを受けていましたが、
そのベットの上で船が大嵐にあったような、そんな衝撃を
受けながら、これはただこでではない異常事態を感じて
いました。


それから会社に帰ってテレビをつけ、
全員で食い入るように津波が丘に向って駈け上がってくる様子に
呆然としながら、また、恐怖を感じながら、ずっと見続けていたことを
覚えています。


それから続々と悲惨なニュースと共に計画停電やガソリン不足、
日常製品や食料品不足が起こり、さらにテレビではあまりの被害状況に
今まで味わったことのない胃がえぐられるような痛みのショックの
日々が続きました。


あれから7年たちます。


東北であの大震災を体験して家族や自宅、そして地元地域を
失った人たち。原発被害で地元を出て東京に移ったり、
他の地域に移り住んでいったご家族や人たちがたくさん
いらっしやいます。
避難生活をされている人はまだ
7万3千人いらっしゃるそうです。


そういった事実を私たちは決して忘れてはいけないし、
少しでも出来得ることがあればさせてもらいたい。


当時のブログには、
こんなやり取りの内容がありました。

震災から1ヵ月がたちました。

 東松島市に行って親戚に会ってからお願いしようと
思ってましたが、仙台から車なしで日帰りするのは無理、
親戚宅も危険なので泊まる所もないという状態でやむなく
延期しました。


 5月の連休に、夫と次女夫婦の4人で仙台のホテルに
宿泊しながら、レンタカーで東松島に行く事にしました。
 物資は営業所止めでは、宮戸小の避難所まで距離が
あり、避難している人達にお願いするわけにはいかない
ので、2日にホテルに荷物を送り、3日に家族で車で運
んで持って行くつもりです。

 夫は4人兄弟ですが、兄と姉の家族が家を失いました。
叔父さん、叔母さん、従兄弟も失いました。兄嫁の実家も
流されました。

 私も4人兄弟です。弟と妹の家族が家を失いました。
 地震が来た時に家にいた母親と弟が車に乗ったまま
流され、遺体で見つかりました。父さんや従兄弟、亡き弟
の嫁の実家も流されました。

 皆さんの暖かい心に感謝しつつ、どうしても体が動かず、
今日に至ってしまいました。


 できましたら、下記をお願いできればありがたいのですが・・

【携帯用ガスコンロ、ガスボンベ】(避難所、民家避難使用)
【携帯用充電器】電気がないので電池・車で充電出来る物
(避難所、民家避難使用)
【下着】多ければ多いほど(全員)
【耐震マット】
【耐震用突っ張り棒】 
【子供の洋服】男児2歳6ヶ月 女児8ヶ月        
【水】小さな子供達の飲料用に

【お知恵貸して下さい】 ヘドロと臭いを消す方法
【避難所及び民家避難の方達】
夫の実家と近所の人達は東松島市の宮戸小学校 
と津波をまぬがれた民家数軒(30人)
に避難しています。

【対象人数】
民家の避難所 大人30人(10〜15家族)
アパート 大人4人+幼児2名
計36名(メールの内容ここまで)

 未だに電気、ガス、水道がありません。

 電気が無いため、こちらから電話をかけるのは控え
ており、向こうから連絡が来た時にちょっとだけ話しを
するだけです。
 食べ物はあります。個人的には物を貰っても保管場
所がないのでいらない。
 皆で使うもので欲しいのは【携帯用ガスコンロとガス
ボンベ】ということでした。

 電池や車で充電出来る【携帯用の充電器】は喜ば
れると思います。

 水がないので洗濯が出来ません。【下着】は何枚あ
っても良いと思います。


そう言えば、出来ることをさせてもらっていました。
今日はあらためて当時のことを思い出させてくれる日であり、
多くの犠牲者の方々に対して哀悼の意を捧げる日でもあります。


会社では午前十一時半より
東日本大震災追悼法要を行います。


06:49, Sunday, Mar 11, 2018 ¦ ¦ コメント(0)