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2018年 3月25日

「千葉に帰りました」3/25(日)
おはようございます。


保育園の卒園式に出て、
また、私の妻(園長の母で
子育てセンター長の田中先生や
センター内のスタッフの皆さんたちに送られた
保護者の皆さんからのメッセージ。


とっても心に響きます。


子どもを通して一人ひとり親が
確実に成長されていることが伝わってきますし、
特にお母さんたち一人ひとりからは母性が育って
いって本来のその人らしさが出てきていると、
感じます。


やはり親子の関係、
無償の愛情を与え続けるということ。
母性である愛情を与え続けることによって
親は親になっていくのでしょう。


この愛情の視点とは、
「ほおっておけない」という視点ですね。


自分から出す愛情は、
必ず自分に帰り与えられています。
自分が何かを得る、貯める、気持ちならば
限界が来て、必ず不安になります。


まさにこれは仏と人間、
霊的な親子関係と一緒ですね。
一方的、与えっぱなし。


ここに人間が生きていくスタンスのヒントがあります。
見返りを求めず与えっ放しになりなさい。
その副産物として与えっ放しの人は、
それがこの世でたとえ浮かばれなくても
仏さまの慈悲で必ず救い取られていくのです。


また、
自分が母性を出す事で、
自分も母性に包まれるという法則があります。
そして、母性、愛情を出す人は、必ず現実に幸福に
なっていきます。環境も変わっていくのです。

・・・・・・・・・・・・・

「今は今」

まだ薄暗い早朝の散歩道、

いつもよりも白くぼんやりと明るい空間に気づく。

凝視する。

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「あっ」、一夜のうちに桜の蕾が開花し始めたのだ。

「しまった!」

油断していた。置いてきぼりにされた様な気分になった。

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次の朝から

「今は何分咲き位かな」

「いつ満開になるのかな」

と、あっという間に駆け抜けていく桜の花の一生に

置いてきぼりに去れない様に気をもみ始める。

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「花は誰の為に咲くのか?」

と言う問いに、

「花は花だから咲くのだ、誰の為でもない・・・」と。

「美しい」

と見る人の心に起こる感動などおかまいなく

「ただ咲く」

そして時が来れば風に任せて散っていく。

その潔い様に気遅れしながら

「ちょっと待ってよ」

と独り言。

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その

「ただ」

を超えられない私が

羨望の思いの入り混じった切ない独り言を言いながら、
今朝も歩く。

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「美しい」

という感動と共に。




04:40, Sunday, Mar 25, 2018 ¦ ¦ コメント(0)