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2014年12月5日

「温かい心で」12/5(金)
≪某ブログ≫より転載

人間とは、他人の悪い所ばかりを見始めますと、
その人の良い点は「見えない」ように成るものです。


本当に悪い点ばかりが目に付き始めます。


特に夫婦などはそうです。
一度でも信用を失いますと、そのすべての行動に
ウソが無いかと見始めます。


そして相手の間違いや矛盾点ばかりを探し見て
いますと、ほんの些細なことでも「やっぱりね」と
更に相手への疑惑を自分で確定してしまいます。


釈尊は、これではダメだと仰っています。


その相手よりも、自分自身のほうが心の穢(けが)
れが増しているのが実態だということです。


そんなことを継続していますと、その相手以上の罪
を自分が結局は犯してしまうことに成るのです。


コノ世は、犯罪を取り締まる人間が、罪人以上の罪を
犯すこともあるかも知れません。


伴侶の浮気を疑うことを継続していますと、何時の間
にか自分のほうが当て付けに本当に浮気をしてしまう
かも知れません。そして、伴侶の浮気は本当は誤解だ
ったことが後で分かり、「疑っていた」自分自身が本当
の悪人に成っているかも知れません。


このすべては、相手の悪い点ばかりを見ようとする視点
から「始まっている」のです。


そうしますと、これはまさに上記の釈尊の言葉通りの内
容が証明されています。これが真理なのです。


犯罪を取り締まる人が、相手を悪人だと決め付けていな
ければ、相手を絞め殺すまで強く押さえ付けないでしょう。


伴侶の良い点も「思い出して」いれば、自分が間違いを犯
すことは無かったことでしょう。


これらは、「相手を失ってから初めて気付く」ことが多いの
です。でも、それでは遅いのです。


このようなことを防ぐには、相手の良い点と、相手が無実
だった場合のパターンも想像する・思い直すことが、結局
は自分自身を守ります。


釈尊の言われますように、相手の悪い点ばかりを見てい
ますと、本当に自分自身のほうが罪を犯す人に成ってし
まうのです。これは恐ろしいことです。


これは、今生での自分の因果(借金)を増やさないためにも、
覚えて置きましょう。

                         ≪転載終了≫

自分の欠点は棚に上げて、相手の悪い点ばかりを見つけ
出しては心の中で責めてしまう。

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なんとも浅ましいです。

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仏と共に生きるということは、いつも温かいお心をいただく
ということですから・・・・。自分にも人にも温かい心で接して
いきたいものです。相手の欠点を見ていったら、ほんとうに
きりがないですからね。

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サニークリーニングのはな恵ちゃん。お歳暮ありがとう。
ご家族で協力し合って頑張ってね。
それと、まりちゃん、輝香にお祝いのアレジメントありがとう。

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※写真は孫の真還です。お正月に会えるのを楽しみにしています。
じいちゃんも、ばあちゃんも。そんな歳になったんだよねえ・・。


なんまんだぶつ。

20:27, Friday, Dec 05, 2014 ¦ ¦ コメント(2)