≪ 「気迫、気力、気根」3/21(水)  ¦ トップページ ¦ 「日本橋三越本店と天女像」3/23 .. ≫


「:元気一番!」3/22(木)
京都の忘我亭さんにこう書かれていました。

1981年(昭和56年)、忘我亭をオープンしてから数ヵ月後に、
たまたま京都の漆器屋さんの紙袋に書かれた書に感銘し、
佐藤先生の紹介を依頼したのですが、 なかなか返事がも
らう事が出来ずにいたところ、ある日突然、偶然にも佐藤
先生本人が喫茶に来店され一度奈良のご自宅に来なさい
と言って頂き、数日後寄せていただき、忘我亭の紙袋等の
書を書いて頂く事になったのが御縁です。

そして最初は喫茶の壁面に絵画を展示させて頂きその後、
中庭奥の建物を常設ギャラリーとして絵画、陶器等の展示
販売を行って約25年になります。

佐藤先生の絵画が御縁で全国にたくさんのお知り合いが
できお店、自身にとってもギャラリーは貴重な財産です。
又、自身も自宅や店で日々作品から元気なエネルギーを
頂いている一人です。


佐藤勝彦 略歴

昭和15年(1940)3月7日、満州大連市で生まれる。

昭和22年(1947)貨物船にて日本に引揚げる。

母親の里岡山県上房郡に落ち着く。小学校、中学校、
 高校時代をこの地で過ごす。

昭和33年(1958)鳥取大学学芸学部に入学。

昭和35年(1960)重度の結核と診断され、岡山県結核病院に
 入院する。

昭和36年(1961)奇跡的に健康を回復し、郷里で療養する。

療養生活の間におびただしい量の絵を次々と描く。

昭和38年(1963)私立奈良帝塚山学園教諭となる。

昭和39年(1964)結婚。骨董に興味を示し、毎日骨董屋通いをする。

昭和43年(1968)東京で中川一政展を見て大きな刺激を受け、
 奈良に帰るや猛烈に描き出す。

 昭和44年(1969)奈良県立文化会館で油絵と書と水墨の個展を開く。

 昭和45年(1970)個人誌「雲」第一号を発行する。

 昭和46年(1971)信貴山成福院の襖に絵や書をかく。

 昭和48年(1973)初の著書「ええがな ええがな」を出版する。
 
 昭和49年(1974)陶芸家辻村史郎氏氏の作品に刺激され、やきものを始める。

 発行部数7万部の季刊誌「銀花」の一冊ごとに一枚の肉筆画を挿入した

 「佐藤勝彦現代仏道人生」特集号発売される。

  昭和52年(1977)森英恵の第一回パリオートクチュール展に
 勝彦の描いた衣装発表さる。

 「ありゃせん ありゃせん」(文化出版局)刊行。

 昭和53年(1978)ナショナアル電気毛布「ゆめ」の手描きポスター四百枚を描く。

 昭和55年(1980)NHK教育テレビ「現代の絵師たち」に出演する。

 「こころの書」(文化出版局)刊行。

 昭和56年(1981)葉圧の作品集「佐藤勝彦の世界」(あすか書房)刊行。

 昭和45年以来全国各地で個展を行い、自らも会場に出向き、
 多くの人々と語り合っている。

そして、78歳で還られたんですね。
スゴイ、勇気と愛を多くの人に与えて。

P1160847
20年前、京都の忘我亭で見た佐藤勝彦さんのダイナミックで
力強さに魅せられて、それ以来、随分勝彦さんの絵を集めま
した。


P1160857
また京都左京区岡崎の「だる満」にも購入されて、お店の雰囲気を
ガラッと力強いものに変えました。


多くの人に生きる喜びと力を与えてくれたその佐藤勝彦さんも
昨年お亡くなりになったのですね。残念です。


10:16, Thursday, Mar 22, 2018 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

■トラックバック

この記事へのトラックバックURL:
/blog6/blog.cgi/20180322101639

■コメント


■コメントを書く

名前:

メールアドレス(任意):
    

URL(任意):

この情報を登録する

内容:

パスワード(任意):

ヒューマンチェック(選択した計算結果を入力):