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2016年 4月27日

「稽古と練習の違い」4/27(水)
「稽古」の稽は、
考えると言う意味があり、遠く古(いにしえ)の
事柄に思いを馳せ、先人の考えを理解し道理を学ぶ事です。
これが「稽古」です。


稽古の場合は
師匠や師範と呼ばれる人から教えてもらいます。
精神を集中させ100%真剣に行わなければなりません。


練習とは
決められたメニューを消化して、単に肉体を鍛え技量
の強弱を計ることです。


精神を鍛え内面的にも向上し、
本質を見極めるだけの力を付ける。
これが「稽古」です。



以前、
合気道の先生の奥様が
「うちの四段クラスは
確かに本部に行っても技術は変わりませんが、
合気道の本質が理解されていて、本当に稽古をつけれる人は
まだ一人もいません。みんな練習を
指導することはできますが」
と言われたことがありましたが、
「ああ、生意気だけど、
この人は良よくわかってらっしゃるな」
っと感心したことを思い出します。


練習は号令をかけれる
リーダーさえいればみんなでできても、
稽古をつけれる武道の本質を理解した、
また人間的な深みのある師匠や師範となると
早々はいないということです。


あらためて
自分自身この「稽古と練習」のことを
考えてみました時、何かしらの武道を学ぼうとして他の道場
に入門しても、いつの間にか魅力を感じなくなって
自然と足が遠のき行かなくなってしまう。


自分なりに
「どうしてなのだろう??」と、
自分自身を問うてみるのだけども
「う〜〜〜ん、なんとなく」とか言いようが
ありませんでした。
自分の気持ちにものすごく
正直な人なので。


で、
今日こういうことを書きながら
あらためて思いました。


やはり練習ではなく
私は稽古をつけてほしたかったのだと。
それは技を習得するだけでなく、師匠と言われる
人から人間的な何かを吸収したい
学び取りたいという思いが強い人ですから、
自分の本質が無意識ですけど敏感に
「違う」とか「これだ」とか
感じ取ってしまっているのですね、


それほど「練習と稽古」の違いは大きい。


だから、
私が広島に帰る時は
練習を指導するのではなく、一応は
稽古をつけに帰るのです。


そして、
私がいないときは稽古をつけられたことを
みんなでしっかり練習をしておくのです。
これは千葉の道場も一緒です。


さて、今日は久々に
三階の道場で「三戦」の稽古をします。
「稽古と練習の違い」を意識すれば、
稽古はそれだけ責任が重い。
だから常に自分を磨いていないと、
気を抜くと稽古のつもりが練習へと
降格してしまっています。


やはり
日常の生き方が稽古に出るって思います。

※結果的に今日の稽古は、手刀と鉄槌を行いました。
手刀と鉄槌は、構えている相手にいきなり出しても当たりません。
必ず崩してから、相手の頸動脈あたりに手刀や鉄槌を打ち込みます。

この場合、相手に髪の毛があれば、髪の毛を引っ張って首を
あらわにして腰を入れて打ち込みます。
そした倒れたら顔面にかがとでの蹴りを入れます。

まだまだぎごちないですが、
女性でも頸動脈に手刀を打ち込むと
やはりかなりダメージがありますので、
護身術にもなります。
結構、みんな本気になって稽古してましたよ。

17:08, Wednesday, Apr 27, 2016 ¦ ¦ コメント(10)


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