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2014年11月23日

「不動の自分と出合う」11/23(日)
今日は久しぶりに甥の俊夫から電話がありました。
仕事でマレーシアに行っていて現地でとても鍛えられていると。


随分向こうで苦労もし、途中で嫌になったりすることもあるでしょうが、
チャレンジャーとして未知の体験に挑んでいる彼の「いのち」はとても
喜んでいました。


それは他人の目や評価を気にしたりすることよりも、そんな余裕もなく
ただただ悪戦苦闘する中でストイックに自分を見つめているからだと
思います。


人間には、「絶対に不動の自分」が誰にも宿っています。
これが本当の自分です。紆余曲折することもなく、ただ存在している
大安心の自分です。


過去、幾度も厳しい局面に出合ってきましたが、こういう時ほどこの
「不動の自分」がはっきりと自覚できました。


誰もが「不動の自分」を持っているにもかかわらず、些細なところで
いろんな心配をしたり、取り越し苦労をしたりします。その心配したり、
取り越し苦労をしている自分が、自我です。


「絶対に不動の自分」の周囲を、自我の層が取り囲んでいます。
個人で自我の厚みと、その自我は他人や環境からの影響を受けて
頻繁に変化します。そして一喜一憂します。


こういう時の自分は、自分を見つめずに、いつも他人や環境ばかり
を見ています。ただ、日常生活ではこういう人がほとんどかもしれま
せん。


これはほんとうにつまらない人生というか、いつも他人を気にした
人生に自分から向いていきます。


そういう偽りの自我の自分ではなくて、自分の中にある「絶対に不動
の自分」というものを、日々の生活や仕事の中で見つめようと、意識し
ていかなくてはなりません。


僕は過去、どうにもならないような土壇場の状況の中、この「絶対に
不動の自分」と出合い、そのことによって自分の人生を大きく改善する
第一歩が歩めました。絶体絶命のピンチから脱出することができました。


ほんとうの安心感とは、「絶対に不動の自分」を見つめることで、内心
から自然と起こってきます。この「絶対に不動の自分(仏性)」を信じる
ことが本当の信仰であり、信心なのです。自分の外に在るものを信じる
ことが、ほんとうの信仰ではないのです。


これをお釈迦様は、「自燈明」自らを明りにして先行きを照らし進みなさい、
と言われました。


僕は彼の現地での話を聞きながら、彼が外国に行って苦労してるのは
「そういうことなんじゃろう・・」と、とても嬉しく思えました。


どんな状況であろうと、どんな環境であろうと、何が起ころうと、それをどう
受け取るかは、すべて自分次第なのです。すべては自己選択責任なのです。


同じ生きるならば、自我に翻弄されて一喜一憂するのではなく、常に人生
のチャレンジャーとしてプラス発想と感謝を選択していった方がずっと
自分の人生の良い血肉になっていきます。「絶対に不動の自分」は、いつ
でもこう言います。「なるようになる。あんしんせえ」と。
自我はこう言います。「もっと心配せえ、うまくいかんから」。


どっち選ぶ?


今日はピザーラでLサイズのピザ三枚注文しました。
あっという間にこのありさま。

tee
残り物には福がありますので、伊勢丹分として取っておきますから帰ったら
チンして食べてね。


生かしていただいて ありがとうございます。

17:14, Sunday, Nov 23, 2014 ¦ ¦ コメント(0)


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