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2014年11月25日

「慙愧の心」11/25(火)
『自分の心を守りましょう』より転載

3.人生が良くなる種を巻きましょう。

人は、自分以外の他人の問題点が気になる習性がります。
「自分の問題点は気にならない」のですが、他人の問題点は
非常に敏感に反応しているのです。これがストレスの始まりです。


つまり人は、自分自身を見ずに、他人を見ている比重が大きい
のです。自分を見る、省みる視点が欠けているのが、今の人類の
大きな欠点だと感じます。国家間でも、同じ問題があります。


しかし、精神を向上させるには、他人を見ずに、自分自身を内省
する視点が不可欠なのです。他人の欠点が腹立たしくなる自分
がいれば、それは自分の自我(我良し)が大きくなり始めていると
思いましょう。自我が大きくなれば、すべてが苦しく感じるように
なります。


問題が起きた時には、まず、人よりも自分自身に問題の原因を
探してみましょう。人は不思議なことに、原因を他人に見ずに、
必ずよそに「発見しよう」とします。まさか犯人が、自分だと思え
ない・思いたくないのです。
                      転載終了



親鸞聖人の書かれた「教行信証」信巻に、

「二つの白法あり、よく衆生を救。一つには慙(ざん)、二つには
愧(ぎ)なり」という言葉があります。
これは、
「二つの尊い教えが人を救う。一つは慙(内に向ってみずからを
恥じること)、もう一つは愧(他者に対してみずからを恥じること)」
ということです。


人間に一番欠けているのは、僕を含めてこの「慙愧」の心だと思
います。


内に恥じ、外に恥じるという「恥の精神」は、かつて日本人がとても
大切にしていたものでした。「責任を人に転換しない」「恥ずかしい
生き方はしない」というのは、他人の評価を気にしてのものではなく、
それぞれの人が自分の内に持っている信念、生き方の美意識、美学
といったものに背かずに生きていくことでした。


日本全国の人が死を悲しんだ高倉健さんはまさにそういう人て゛した。


人間は恥の意識が欠けて来ると自分の都合ばかりを優先し、自己
中心的に生きるようになります。そして自分の傲慢さや愚かさに慙
愧を感じなくなれば、人間らしい生き方は望めません。


「無慙愧は名づけて人とせず」とはそういうことです。
それほど自己内省できない人は愚かで醜いということなのです。


しかし、精神を向上させるには、他人を見ずに、自分自身を内省
する視点が不可欠なのです。他人の欠点が腹立たしくなる自分
がいれば、それは自分の自我(我良し)が大きくなり始めていると
思いましょう。自我が大きくなれば、すべてが苦しく感じるように
なります。


仕事の中では特に心したいですね。

gfr

生かしていただいて ありがとうございます。


18:35, Tuesday, Nov 25, 2014 ¦ ¦ コメント(0)


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