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「己の悪い点を素直に自覚できている人ほど因果を増やすことが少ない」2/27(火)

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過去・現在・未来という

三界をひたすら輸廻する姿を

冷静に見た時、どの時の自分にも

愛着という執着を持たない者は、

民衆の中のただの一人として

生まれていましても、

その人は輪廻を終焉させる

真の聖者として存在します。

そういう聖者は、

日常の中で一つ二つと

数えるような出来事を、

気にすることが一切無いのです。

[原始仏典『スッタニパータ』

    第一章第十二節-二百九番]

 

非常に難解な項です。

原文を見ましても

「いったい何を言っているのでしょうか?」

という感じの記述です。

わかりますことは、釈尊の視点とは、

*とにかく人は、何度も

生まれ変わる存在である。

*人は、過去生のどんな人生でも、

何度も同じようなことを、

ひたすら繰り返していることに気づけない。

忘れているだけ。

 

その上で、

*過去・現在・未来の

自分の人生において、

「自分だけ」「自分が」

というワレよしな執着を、愛着を、

どの人生においても持たないこと。

*ただ一回の人生だけで、

執着を残さない人生をしたとしてもダメ。

*連続して、どの人生でも

我良し執着を持たない生を

何度も繰り返した人は、真の聖者である。

*そういう人は、民衆の中に

紛れて生まれていても、

輪廻を終わらせることに成功するだろう。

 

そして、

*最後の人生の特徴としては、

どんな出来事も、苦難も、

一つニつと記憶に残して

気にする人ではないこと。

風のように、記憶に残さない。

 

ここまで読み込みますと、

この項の良さが見えてきます。

 

私たちは生活の中で、

・あの人に、こんなことを言われた(一つ目)。

・あんなことを、アイツにされた(二つ目)。

・以下省略

(同じことがエンドレスに続く⋯⋯)。

 

このように自分の「思い」を、

出来事を数えられるうちは、

まだまだ輪廻が続く

人間だという指摘です。

ましてや、二十年前の

出来事であっても、

昨日にされたかのように

今でも激昂する人は、

輪廻を卒業することは

非常に難しいと言えます。

 

何があっても、

*風のように記憶にも残さない。

*ひたすら今と前だけを、

見ていく生き方。

これが、輪廻の終焉を

迎える人の特徴です。

 

釈尊の時代は、

輪廻を終わらせることが、

民衆の願望でした。

その理由は、

・それほど、生活が、

食べることが、苦しかった。

・平均寿命の短さからも、

悲惨な出来事が日常だった。

・もう二度と生まれたくない!

と思っても、天の法則は許してくれない。

 

当時の人は、他人の生死を

頻繁に目撃する生活だったと言えます。

そして、赤子が生まれることも、

生活の日常風景として無数にありました。

 

その死と誕生を繰り返し目撃するうちに、

・死んだ人間と同じ特徴を持った

赤子の誕生を目撃する

・まったく同じ死に方で終わる、

不思議なパターン(因果)を見ること。

 

こういう日常経験と、

当時の大自然に近い

純粋な生活から、民衆にも

「生まれ変わり」は

アタリマエの認識だったと感じます。

平均寿命が短いことが、

誕生とその死に方の結び付きを、

人々にわからせたと言えます。

 

現代の大自然から離れた

濁った生活をする人類は、

「生まれ変わり」も信じることが

難しいかも知れません。

身近に生死の瞬間を目撃することも、

非常に少ないからでしょう。

 

でも、間違いなく、

誰もが何度も生まれ変わりをしています。

そろそろ、自分のパターンに気づいて、

風のように今生の残りを生きることを

参考にしていただければ幸いです。

 

嫌な気持ちを残さない生活とは、

本当に身軽な気分になっていくものなのです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第三巻」

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