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「奪い合うから分け合う、与え合うへ」12/3(日)

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牛を飼う信仰者と

釈尊のこのような問答が

終わるやいなや、

天が返答するように

物凄い大雨が降り始めました。

瞬く間に低い窪地も、

小高い丘も暴雨で

満たされるほどでした。

 

神様が大雨を降らされる様を

見た牛飼いの信仰者は

語り始めました。

「私が釈尊、貴方様に

会えたことは物凄いことでした。

心から衝撃を受けました。

貴方様は真の知恵の神眼を

お持ちであることが

よくわかりました。

私はあなたに帰依

(教えに従うこと)します。

私の妻も、とても従順で

素直な人です。

私と一緒に貴方様のような

如来の下で共に学ばせてください。

何度も生死を繰り返す人の

人生を今生で終わらせ、

永遠の彼岸(天国)に

安住することを目指したく思います」

[原始仏典『スッタニパータ』

第一章第二節-三十〜三十二番]

 

このやり取りを見ていた

悪魔は言いました。

「子どもを持つ者は、

子どもを持つからこそ喜びが来る。

牛を持つ者は、

牛を持つからこそ

贅沢ができる喜びが来る。

つまり所有物こそが

人に喜びをもたらすことができる。

何も持たない人には、

喜びは来ない」

[原始仏典『スッタニパータ』

第一章第二節-三十三番]

 

これを見て釈尊は言いました。

「子どもを持つ者は、

子どもに執着すれば、

心配が絶えない苦しみが生じます。

牛を持つ者は、

牛を持つことに執着すれば、

色々と心配して悩みます。

つまり、有物こそは

人に執着を起こさせて、

いつまでも心を安心させることが

ありません。

何を持とうが持たなかろうが、

何に対しても執着しない人には、

苦悩は来ません」

[原始仏典『スッタニパータ』

第一章第二節-三十四番]

 

牛を飼う真面目な信仰者が、

釈尊に感動して夫婦で

釈尊の教えを

勉強したいと言いますと、

悪魔が登場してきました。

悪魔はいつでも、どこでも、

聞き耳を立てているということです。

 

悪魔は人の自我

(ワレヨシな欲望や思い)に

住んでいるのです。

つまり人間は誰もが、

自分の心に悪魔と

神様(戴我・内在神)の両方を

すでに持った状態だと言えます。

ここが大切なポイントです。

 

どこか知らない他所から、

悪魔や神様が

やって来るのではないのです。

すでに自分の中に

同居しているわけです。

だから修行すると言いましても、

何かが他所から来ることを

期待しても無駄です。

 

自分の中から、何を出すのか?

を意識することが大切なのです。

 

働きながら、勉強しながら、

主婦業をしながら、

自分の中の良いモノを

前面に出すことが人間として

生まれた真の修行なのです。

自分の心から悪魔を

出しながら生活をしてはいけません。

 

でも社会には、

悪魔を撒き散らしながら

生活する人が、会社にも、

スーパーにも、道路にも

いるわけです。

自分から悪魔を出し続けた人は、

周囲の人を苦しめます。

他人に嫌な思いをさせることを

嬉しく思うようにもなっていきます。

そして本当に、

自分自身が悪魔のような

卑しく貧相な顔にもなり、

地獄のような生活環境にも

変わっていくのです。

 

ここで悪魔は、

人に物を持つことを勧めています。

これに対して釈尊は

「物を持つ=執着」について

戒めています。

そこで思い出しました、

私の子どもの頃のエピソード、

「ボロを着ても心は錦」

の是非について、

次の項で考えたいと思います。

 

「柔訳 釈尊の教え 第一巻」

著:伊勢白山道より転載

・・・・・・・・・・・・・

お客様の声

君津本店

●「白いセーターがきれいになった

。」と、喜んでいただきました。

(30代 女性)

 

●ジャンバーの襟足の皮脂汚れも、

きれいになって、喜んでいただきま

した。(30代 女性)

 

伊勢丹新宿店メンズ館

★仕上がりがやっぱりきれいだとい

う話から、他店で裏地が破損したこ

とがあり、大切な品物はここにしか

出せない。裏地選びの話も交えなが

ら、終止笑顔でお持ち帰りになりま

した。

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