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5/4(日)「無心になることは無我夢中に努力すること」

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金銭を集めることに執着をせずに、

自分が食べる食物についてはよく調べて吟味をします。

そういう人々が悟り、無心に成れた場合は、

その人の運命は未知なものと成り、

その未来を知ることが出来ません。

それはまるで、大空を飛ぶ鳥の軌跡が見えないようにです。

(原始仏典 ダンマパダ7章-92番)

 

金銭というものは、欲しい時には集まらない「生き物」です。

釈尊は、財産を持つな、金を儲けるな、とは仰っていません。

これを誤解してはいけません。

集金団体が、「釈尊が財産を持つなと仰っている」という逆の

解説をして、一般人から金銭を集めることに執着をします。

これこそが大罪です。

 

釈尊の本意は、金が有ろうが無かろうが、そのことに「執着をするな」

と言うことです。

 

金の有無に左右されるなと言うことです。金持ちでも金銭に執着が無

ければ、それは素晴らしいことであり、財産を保持したままでも因果を

受けません。

お金が無くても、それで自分の心を傷めなければ、心が豊かな人物に

成ることが可能です。

 

自分を誤魔化さず人生を一生懸命努力と反省と改善を行い、自身や周

りのモノや人に感謝をしている人や経営者は、不思議なぐらいお金の方

から自然と集まって「来る」ことが起こっています。

上り調子の人や、商店、会社を視ますと、今までの陰徳、善行が爆発す

るように、金銭の方からその人に寄っている様を感じます。

その人が拒否しようが、どう転んでもお金が集まる事態に向くのです。

これも良い意味で、因果の法則が発動していると言えます。

 

そして珍しいことに、釈尊が自分の食事については良く調べて、自分なりの

最善を尽くしなさいと指摘しています。

考えて見ますと、禅宗などは食事を作ること、正しく物を食べることが、

重要な修行の要素に入っています。

 

禅宗では作務(さむ)という、農作業や清掃などの日常作業を修業として

行いますが、その中でも食事を作る事、また食事を頂くことが重要な「動の瞑想」

に成っています。

道元禅師も「典座教訓」(典座“てんぞ”とは禅寺において食を司る重要な役職)

という本を著して食というみのを重要視しておられます。

保育園や学校教育現場でも「食育」をとても大切にしています。

 

つまり、健全な状態で無心に成れるためには、

* 執着を持たないこと。

* 食事を大切にすること。

この2点の継続が重要なカギに成ることを覚えて置いてください。

 

次に釈尊が、

「無心に成れた人ほど、その人の未来は白紙になり読めません」と断言されて

います。

確かに無心になれた場合は、先入観もないですし、今までの習慣化された生活

パターンの癖から脱却して自由自在となり、運命はまったく未知となると感じます。

しかし、「何も考えないこと」「仏性と一体感に成ること」「あるがままになる

こと」、これが難しいわけです。

 

ここで逆の視点を持ちますと、「無心でない人の運命は読める」ということです。

その人の生活習慣のパターンや癖を冷静に見るだけでも、その「方向性・ベクトル」

が行き着く先のパターン(運命)は読めるわけです。

ここで大切なことは、今に行う「努力」こそが重要であり、絶えず「ただ今」の前向

きな努力が未来のパターンを変更しつつ創造している最中だということです。

 

つまり、無心になること=懸命に努力すること。

無心に成ることがよく分からない、と思えば、懸命に自分が出来る生活や仕事の努力を

いたしましょう。これをあきらめずに継続しますと、自分の明日は必ず

変わっていきます。

 

逆に、何の努力もせずに人間は、「落ちていくことも自由」である現実を

忘れないことか゛大切です。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載

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日本人の道徳心

「自然淘汰しない人間」

ウォレスは進化論を考えた挙げ句、

人間は自然淘汰をしていないことにも気づいた。

彼はブラジルの未開拓の地に四年間住んだことも、

いまから百五十年も前のインドネシアの

山奥に約八年間も住んだこともある。

そのときに、どこを見ても弱者をみんなで

助けるという姿を目の当たりにした。

自然淘汰とは、弱者は淘汰され強者が残る

というものだが、人間の場合は弱者を助ける。

従って自然淘汰しないという結論に達したわけだ。

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今日の諺 「深山幽谷(しんざんゆうこく)」

【意味】

人里から離れた、山奥などの静かな自然のこと。

「深山」は奥深い山、「幽谷」は山奥の谷を表わす。

「深山幽谷」には、仙人がすんでいるといわれている。

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