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2014年 7月9日

「下げるな敷居位置」7/9(水)
今日は久々に最終出荷検品を行いました。


結果は、やり直し、やり直し、やり直し・・・。


基本的に僕は空手道の型や組手の審判をずっとやってきましたので、
その感覚で、一瞬でその洋服の仕上げのどこが良くてどこが悪いのかを
パッパッパッと瞬間的に見切ってしまいます。


空手道の型の場合は理想の型からの減点法ですから実に厳しいです。
尚且つ、そこにオーラというか心を打つものが伝わってこないと
高得点は出せません。


実はこの「最終検品」を得て出荷する品物もまったく一緒です。


この仕上げは常に自分との真剣勝負なのです。
どこか集中力を欠いていたり、イメージが漠然としていたり、
何らかの妥協があったら、いくら一見品物は整っているように見えますが
ダメです。どこかバランスが悪くてシャキッとしてないというか、オーラがない。
そして細かいところを見ていくと、雑な部分がどんどん見えてきます。


で、当然「ここと、ここと、ここ、やり直し」。


何度も何度もやり直しです。
そのことによっていくら品物が出荷に出せなくても、
決して妥協はできません。


正直言って、
社長の検品より何倍も僕は厳しいというか、
細かいところを見逃さず妥協なくやり直させます。


そのことによって、仕上げの品物になかなかオッケーが出ず
佐川急便の規定の集配時間に間に合わないので、過去何度、
東京の佐川急便まで10時の最終ギリギリまでに間に合うように
車を飛ばして仕上げ本人が持ち込んだことか・・。


さて、話は変わりますが、
今日は縫製を行っている業者さんから
ご相談のお電話がありました。


その内容は、
「この道、40年やってるんんですが、あり得ないことなんですが、
アイロンプレスで肩口に6センチぐらいの焼け焦げを作ってしまって、お電話
させてもらってます。直るでしょうか?」


「直りますよ。ただし、このぐらいは費用がかかりますよ。」


「そうですかあ…、スーツはもう古いものだら、お客さんに訳を言って
どうするか決めさせてもらっていいですか?」


「わかりました。同業者の方でご事情がわかるので、安くはさせてもらいます。
ただ、ぜひ正直にお客様にはご事情を説明されて、僕からこんなことを言うのも
なんですが、ぜひ誠実な対応をして下さい。やはりお客様のものをお預かりした
以上、そのスーツがいかに古い物でも、焼け焦げを作られたのはご自身ですから。
そこは精一杯直させてもらいたい、という姿勢でお客様へはお伝え下さい。
そうされれば、後はなんとかしますから」。


「ありがとうございます。それではお客様に事情をお話しして、
そうさせていただきます。私、大分の○○と申します。宜しくお願いします。」


「こちらこそ、よろしくお願いします。それでは」


プロでなくとも、自分の敷居位置を一端落してしまえば、
どんどん自分に対して甘くなり妥協してしまって、結果的に
相手の期待を裏切っていくことになります。実に悲しいことです。


だから、自分の弱さや甘さから逃げることなく、
妥協することなく、良心に従って自分の責任を完結して欲しい。
そのための手助けはいくらでもさせてもらいますから。
それが同業者の方に対してのうちの会社の姿勢です。


これは仕上げに対しても同じです。
一端、品質仕上げレベルの敷居位置が下がって
それがまかり通りだすと、もはやどんどん雑になって
際限なく落ちていきます。落ちるのは早いですが、
そこからまた這い上がるのは大変なことなのです。


そういう面から言うと、
僕にはまったく妥協はありません。
仕事に対して妥協するようになってしまったら、
もうこの仕事は辞めた方がいいと思っています。
それは、仕事に対する情熱が無くなってるってことですから。


とにかく仕事に妥協がないわけですから、
厳しいことも、聞きたくないことも、
相手がどんなに技術のベテランであろうと、新人であろうと、
男であろうと女であろうと、社員であろうとパートさんであろうと、
「うん??」と感じたことは直接本人に向ってビシバシ言いますから、
スタッフたちからは鬼に見えることもあるでしょう。


ただ、昔、うちの祖父がよく言ったものて゛す。
「優しい人は恐いが、恐い人は優しいで」と。
まあ、うちの連中はそれがどこかで分かっているから
ついてこれるのでしょうし、分かる人たちじゃないと、
まず言わないしね。

≪おひさまありがとう≫ブログより転載

私達が日々体験して試されている自分自身の魂の挑戦は、
「自分の誠意に忠実であるか」ということと「我欲で誠意を目隠しされてしまうか」
ということの綱引きであります。


私達は生きていくなかで、当然自分の誠意に忠実であるべきです。
一見自分が表面上損するようなことがあったとしても、我欲でごまかしたり、
知らんぷりしたり、陰口をいったり、するべきではありません。
一見自分が表面上損するようなことがあったとしても、
周囲の人に対して思い遣りと手助け精神を持ち続けることが重要なことです。
ということが私達の日々の魂の体験で自分自身に挑戦していることであります。


そして私達はもう一つ「誠意」について重要な挑戦をしています。
それは自分や自分の子供や自分の国やこの地球を守るために、
人の「誠意」を見抜く能力なのです。
この現世(うつしよ)は本当に何重にも精妙な知恵が隠されて創造されているかのようです。
私達は自分自身の「誠意」を挑戦していますが、それだけでは不十分なのです。
他人の「誠意」を嗅ぎ分ける鼻もまた同様に重要なのです。
それは車軸の両輪と言って良いでしょう。

                         ≪転載終了≫

「誠意」と、
他人の「誠意」を嗅ぎ分ける鼻、つまり
「智慧」が「重要」なのです。


正直言ってこの「誠意」を嗅ぎ分ける臭覚が僕も法子さんも
メチャクチャ強いです。普通の人はほとんど相手の本当の姿を
見ぬけないので、表面的な処世術に翻弄されていきます。


真実を嗅ぎ分ける鼻は、
お花畑ではなく、本気の世界を生きた者しか
育まれていきません。


だから、みんなきっちり最後の詰めまで気を抜くな。


生かしていただいて ありがとうございます。

16:59, Wednesday, Jul 09, 2014 ¦ ¦ コメント(0)