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「話す言葉と行為が、ことだまとなり、音となり、己と他者を救う」12/14(木)

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他人と二人でいる時は、

何でも過剰に詳細を語り過ぎるものである。

後からこれが、未来において

恐怖するべき災いをもたらす

可能性を熟慮しておきなさい。

だから、どんな交わり、集団の中に

自分がいましても、自分一人で

歩く覚悟を持ちなさい。

まるで一本角が立つサイのように

一人で歩みなさい。

[原始仏典『スッタニパータ』

     第一章第三節-四十九番]

 

読者からの相談に実際にあることなのですが、

*同僚にや自分の特殊な

家庭事情を話しすぎた。

他人に漏らさないか心配です。

どうすればよいでしょうか?

*酒の席で、自分が昔にした

イタズラを思わず話してしまった。

警察に通報されないでしょうか?

 

このような心配事を、中には話してから

数年が経過していましても、

真剣に何度も相談する人がいます。

近年は、このような人が増えていると思います。

人間は、自分の心が弱った時に、

過去に自分がした発言を思い出して

心配するようです。

 

現実には、このような済んだ会話は、

録音がない限り心配は不要です。

問題はないです。

今の社会では、録音がされていたとしても、

法的に拘束力を持たせるには、

金をかけて弁護士を雇ったとしても、

難しいものだと私は考えます。

まず、そんな暇人はいませんから大丈夫です。

 

問題は、釈尊が二千五百年も前に

すでに指摘をされていることです。

「他人に何でも話しすぎるな!

後から心配することになるぞ」

とおっしゃっています。

 

普通の解釈では、

自分が話したプライバシーが、

後から災いを呼ぶという「話の内容」の

指摘だと思われることでしょう。

 

でも私の感応では、

その話の内容はまったく問題ではなくて、

*自分で後から心配して、

自分自身を後悔して心配すること。

*生活のすべてにおいて、

これもあれもアノ話からの

嫌がらせだと結び決めつけ、

自分で被害妄想に陥ること。

*つまり、話の内容は問題ではないのに、

自分の猜疑心がすべてを

自ら破壊することになる災い。

*中には、自分が話してしまったという

心配心から仕事を辞めてしまい、

無職になってますます病む人も。

つまり、自分の心配心から

「自分で自分自身を破壊する災い」を

釈尊が指摘されていると私は解釈します。

 

二千五百年を経過しましても、

人間が心配心に落ちる盲点は、

まったく変わらないようです。

 

*自分で自分自身を

心配心から破壊しないために、

他人には余計なことを話すな。

*いつでも、自分一人で淡々と

歩いて行く覚悟をしていなさい。

これが逆に、

他人と良い交友ができる秘訣なのです。

このように釈尊がおっしゃっていると

感じてなりません。

 

今日からは他人と話すプライバシーは、

ほどほどにうまくかわして、

後から自分に心配心が

起こらないように生活をしましょう。

これが、自分自身に明るく

ムダな心配のない生活をプレゼントしてくれます。

 

「柔訳 釈尊の教え 第一巻」

著:伊勢白山道より転載

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お客様の声

君津本店

●「白洋舎さんに出して落ちなかっ

たシミがわかんないよ~。すごいね

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いただきました。(60代 男性)

 

木更津店

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数でした。たくさんのお客様が安心

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伊勢丹新宿店メンズ館

●ジャケットの数か所のシミ抜きと

修理でしたが、「きれいに仕上がっ

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(30代 男性)

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