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「今苦しい人は逆に大きなチャンスがある」2/2(金)

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Oくんへ

人生は落差のギャップが美味しいのです。

良いこと、悪いこと、アップダウンのジェット

コースターの両方を体験してこそ本当の仕合せ

を理解できるのです。厳しい状況の中でも、

これでも仏さまに生かされてきたんだ、生かさ

れているんだと、現状とすべてに感謝できる

心になれたならば、これ以上の素晴らしい

「いのち」の成長はありません。

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釈尊との問答を終えた雪山に住む神霊が、

釈尊への賛辞を語ります。

「釈尊こそは、限りなく深い知恵と、

神妙なる真理に到達している。

あらゆるものの所有を完全に放棄し切っている。

欲望や社会的な名声・地位への

執着が消滅している。

このようにすべてのことから

離れて完全に自由である。

神々の世界である静寂の禅の境地を

自由に歩み進む、大仙人を見るが如くである」

[原始仏典『スッタニパータ』

第一章第九節-百七十六番]

 

神霊が、釈尊と面会した上で、

釈尊を評価する点が羅列されています。

当時の釈尊と面会した⋯⋯、

これは、釈尊の実像を知る重要な手がかりとなります。

そして、現代の私たちへの、

大切な生きるためのヒントもこの項にあります。

 

(1)すべてのモノへの所有感を捨てると、

自分自身が自由になれること。

現代に生きる私たちは、

釈尊のように所有物のすべてを

本当に捨てるわけにはいきません。

でも、モノは所有していましても、

その「所有感」は捨てることが可能です。

子どもを持っているが、

子どもを自分のモノだという所有感は捨てる。

子どもを天から預かっているだけだ。

 

家や貯金があるが、

社会から一時的に自分が預かっているだけだ。

仕事の役職を持つが、

自分が一時的に就かせていただいているだけだ。

このように所有感を捨てるだけでも、

自分自身の生き方が大きく違っていきます。

他人とムダに争うこともしなくなります。

これはつまり、自分の「所有感」を捨てるだけでも、

来生に嫌な転生をする因果を

創らない・残さない生き方に、

近づくことが可能なのです。

 

(2)欲望や社会的な名声・地位への

執着が消えるほどに、その人は自由になれること。

欲しいモノや、社会的な地位が、

今の自分にあっても別に良いのです。

でも、それに対して「執着」するほど、

自分の心の自由は消えていくわけです。

執着するほどに、腹が立つことや、

心配することが増えだします。

つまり、自分の心がいつの間にか

縛られているのです。

 

私たちは、色々なことで悩みますが、

ソレに対して執着をしていないでしょうか?

「自分が預かっているだけ」という

視点に切り替えた場合、

自分の心労の具合が変わるのではないでしょうか。

仕事にも、家族にも、お金にも、

恋人に対しても、「嫌な執着はしない」

「今の自分が預かっているだけ」という心境は、

逆に良い関係や、良い継続をさせるものなのです。

 

人は死ぬ時に、自分の肉体でさえも

預かっていただけだったことを、

誰もが思い知らされます。

自分の遺体を天井付近から

眺める体験を、誰もがします。

その時に、コノ世で色々なことで、

争ったことや、憎んだことや、怒ったことも

愚かなことだったとわかり始めます。

 

すべては、自分の「所有感」と

「執着心」が起こさせる、

喧嘩であり、心配であり、悲しみだったことを、

死後にわかり始めます。

でも、その時はすでに、

コノ世で因果(再び転生する因子)を

創った後なわけです。

だからこそ、生きるうちから、

色々なことに対する

自分の「所有感」と「執着心」に、

注意をしましょう。

 

「柔訳 釈尊の教え 第二巻」

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