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4/24(水)「たえず今が美味しい」

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「たえず今が美味しい」

 

生きていれば、過ちや後悔すべきことを

した経験がたくさんあります。

 

では、生きている間にした間違いや過ち

を仏さまは許してまれるのでしょうか?

そもそも「必ずおまえを救う」とお誓い

をたてられている仏さまには、「許す」

「許さない」という概念はまったくあり

ません。

仏さまは、私と共に、楽しみ喜ぶか悲し

むだけです。

 

あえて言えば、過ちや罪を犯せば自分

の良心が許してくれません。

どんなに悪事を働いても、表面上は

「自分は悪くない「相手にも非がある」

などと自分をごまかしたり、罪を忘れる

ことはできます。

 

しかし、自身の心はそうはいきません。

自分でも忘れている罪の意識があれば、

自分の死後には自責の念が増幅されて

それはまるで地獄のような苦しみを味

わいます。

まさに「復讐するのは我」にあり、

なのです。

そして、自分で自分を裁くことが始まり

ます。「許す」「許さない」のカギを

握るのは、自分の良心だったのです。

 

浄土真宗の親鸞聖人は、「悪人正機」

を説かれました。これは自分が「悪人

であったことを自覚できる人は仏に救

われていく」という教えです。

「生きていれば誰だって過ちや後悔

すべきことを沢山犯してきている。

人間は罪を犯さずには生きられない。

そういう自分の罪悪に気づき深く自覚

ができた人こそ阿弥陀さまの救いの

目当てである」とおっしゃったのです。

 

つまり、過去自分が過ちや悪いことを

したと深く反省し自覚できたならば、

それ以上の日々の感謝と善行を、見返

りを期待せずに実践できるようにな

っていけば良いのです。

浄土真宗では「阿弥陀様の救いにまっ

たく疑い晴れ、阿弥陀さまが主となっ

て自分の人生を御恩報謝で生きていけ

る」ことを「信心獲得」「信心を得た

人」と言います。

 

つまり、信心を得た人は

「人に優しくしなければなりません」

とか「和顔愛語が大切ですよ」とか、

そうった「ねばならない」的な自力

の世界からまったく離れて、阿弥陀

さまに生かされ阿弥陀さまと共に生

きれる喜びと感謝の他(仏)力の世界

を自然に生きていけるのです。

 

人間の罪の真相とは、「潔ければ罪

は無し」なのです。

罪を犯しても、それをしっかり認め、

その裁きがあるのならばしっかり地獄

で受ければいいのです。「裁きから

逃げたい」「罪を軽減させたい」と

いう姑息な考えがあると、自己否定し

たり居直ったり、責任転換かして、

とても不安に悩むというみっともな

いことをします。

 

誰の心の中の良心と共に、思いっきり

感謝と良い志の人生を生きればいい

のです。自分自身に起こることは逃げ

ずに全部潔く受け入れて、良いことも

悪いことも「今が美味しいのだ」と

ありがたく感謝の心で味わっていく

のです。

そこにあるのは、ただただ現状への

感謝、生かしていただいている感謝

の思いです。

 

僕のようなエネルギーの強い人間は、

善悪の振れ幅が実に大きかったです。

振り返ってみれば「あんなこと、よう

やってきたなあ~~~」と思うことば

っかりです。

ただ、阿弥陀さまに生かされ共に

生きるようになって。

過去の過ちを決して忘れず、事前

意識して注意しておく上で、他人を

許し、祝福し、喜ばれることを心

がけて生きてきました。

それは、もうこれ以上阿弥陀さまを

苦しめたり悲しませることは絶対に

嫌だからです。

 

そういう日々はとても心が豊かで

阿弥陀さまが喜んで下さってる実感

があります。これが一番気持ちいい

生き方ですね。人の目を気にせず、

自分の本心、本音で自他ともに喜べ

る世界を生きる。そういう日々は、

「たえず今が美味しい」のです。

 

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お客様の声

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