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5/23(金) 「これでいいのか」

更新日:

 

「これでいいのか」

本当に愚かな人とは

自分が悪い事をしておきながら、

それが悪い事だと思えない人のことです。

そして、愚かな人は自分自身がした悪事に

自分で気付け無いまま、

まるで衣服に火が付いていることに

気付け無いままのように、

自分の悩みに巻かれて行きます。

(原始仏典 ダンマパダ10章-136番)

 

問題点さえも「認識出来ない」限りは、

* 改善すべきだと思えない。

* 自分の非すら認めずそのままで良いと思っている。

 

つまりは、自分は正しいと思い込んでる人は自分の非を

認めません。逆に相手のミスは許さないので、相手の

非を攻撃することに何の躊躇もありません。従って、

人間の愚かさや攻撃性は、自分は間違っていないという

自己肯定感から出ています。こういう人は、変わることも、

意識的に成長することも出来ません。

 

逆に言いますと、

* 自分は自我が強く悪いと分かっている。

* 自分には直すべきことがあると分かっている。

 

このように自己が「傲慢」であると気づき、謙虚になって

不出来な自己を受け入れ改善して行こうとする。自らの愚かさを

潔く受け入れた者だけが他者と許し合い、協力し合う関係を構築し、

成長する可能性が有ると言えます。

 

早朝から日々業務上のミ―ティングを行います。

ここで必要なのは、失敗を許し合い、相互が援助しあおうとする、

利他的価値観と具体的に行動する能動的な姿勢です。

それが企業や、社会の基底になければ、そもそも失敗を常とし、

そこから学んで成長していくことを本来の性質としている人間が、

集団を形成することなど絶対に不可能なことだと思っています。

 

とはいえ、人のためと言いながら時とし「またかぁ・・・、

もういいかげんにしてくれよ」といった傲慢な自我を捨てき

ない愚かな自分も出てきます。逆に、そうであってはならないと

自制する良心的な懸命な自分もいます。この二つの自分を分け

たり、一つにすることはできません。

 

凡夫である私たちは、この二つの自分をありのままに、素直に受け

入れ、「これでいいのか?これでいいのか?」自己に対する問題意識

と、問題への改善努力を生涯継続します。

その経験が自分の人生ともいえます。

ただ、決して居直らない、それが仏さまへの流儀です。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載

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日本人の道徳心

「墓参り」

一般的には、よく先祖の墓参りをする家の子供は、

だいたいよく育っている。

年に一度でも二度でも、

おじいさんやおばあさんの墓の前で手を合わせる。

そういう場に連れて行ってもらっている子供は、

そこに生命の流れを見るのだ。

親父は祖父に手を合わせた。

自分も親父が死んだら親父の墓に手を合わせるか、

というような流れがイメージとしてでき上がってくる。

そういうよいイメージをつくれるかどうかが大切なのである。

悪いイメージを持っていると、

悪いほうに人は行き、よいイメージを持っていると、

よいほうに人は動くということだ。

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今日の諺 「意気消沈(いきしょうちん)」

【意味】

元気がなくなって落ちこんでしまうこと。

がっかりしたとき。

「意気」は意気ごみ、「消沈」とは沈んでなくなること。

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