私たちは、本当はコノ世で
何物も一切所有していないのが真実なのです。
だからこそ、逆に私たちは大いに
楽しんで気楽に生きて行きましょう。
喜びを噛み締めながら発光する神々のように、
誰もが生きることが可能なのです。
(原始仏典 ダンマパダ15章-200番)
私たちがコノ世でなぜ悩むかと言いますと、
「自分が“それ”を所有していると錯覚するからだ」
と釈尊は示唆されています。
あの人は自分の恋人だ、妻だ、旦那だ、子供だ、
仕事、家族、友人、肉体、健康、寿命・・・・・。
どれも一切が、最初から自分のモノでは無いのです。
「それ」は自分のものだと錯覚(執着)をしている
から悩むのだということです。
神々は、何も持ってはいないから輝けるんだよ。(確かに)
何も持たない気持ちとは、とても軽くなれて自由なんだ。
だから人間だって、すべてが自分のモノでは無いと思い
知れば、執着から離れもっと優しい気持ちに成れるんだよ。
この項では、このように釈尊が優しく語り掛けて来るように
私は感じます。
釈尊は、
「お前は裸で生まれたんだ。死ぬ時も裸のまんまだ」
「その裸の期間(人生)に、何を深刻ぶっているんだ。
深刻ぶらなくてもいい。もっと今、ここ、私を真剣に生き
なさい。」
と笑顔で指をさしながら叱ってくれているようです。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「貸しをつくる」
同僚が困っている時に助けてやるとか、
上司に叱られた同僚がいたら、
彼にかわって上司に弁解してやる、
といったような貸しが組織の中においては必要です。
そして、そのような貸しが多い人ほど、
人望が出ます。
ただその場合、いくら貸しをつくっても、
代償を求めない貸しでなければならない。
取り立てるという意識なしの貸しです。
返したければ返せばいい、というような感じです。
そして代償を求めない貸しを、
どんどんつくっていく。
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今日の諺 「完全無欠(かんぜんむけつ)」
【意味】
欠点がまったくなくて、完璧な様子。
「無欠」とは欠点がないことで、
「完全」も「無欠」もほぼ同じ意味。
同じ意味の言葉を重ねて強調している。
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お客様の声
宅配クリーニング
●クリーニングしていただいたベビードレスが到着したました。
諦めていた黄ばみもなくなり、
本当に美しい状態にしていただき驚いています。
ありがとうございました。
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