「心の安心は自分の生活態度や生活努力から来る」
深く心を安心させることが出来たならば、明る
い智慧が生じて来ます。
心が不安定ならば、明るい智慧は生じません。
智慧が生じることと、生じないこと。
この2つの経験をしたならば、明るい智慧が自分
に生じるような生活をしましょう。
(原始仏典 ダンマパダ20章-282番)
自分の心を深く安心させるような生活努力をしていますと、
そこに明るい智慧が湧いて来ると釈尊は言います。
智慧だけを求めて考えましても、良い智慧は浮かばないのが
人間なのです。
では、明るい良い智慧とは、いったいどこから来るのでしょ
うか?
その良い智慧を求める前に、釈尊は自分の心を深く安心させ
るような生活をしなさいとしています。
自分の心が安心している時に、明るい良い智慧がやって来ます。
では、自分の心を深く安心させるには、どうすれば良いのでし
ょうか?
それは、自分の生活態度や生活努力から来るのです。
自分なりの最善を尽くして生活努力をしていますと、「やる
べきことをしている」という努力が自分自身を安心させて行き
ます。
もし失業している最中に自分が休職への努力をしていませんと、
不安しか浮かばないのです。良い知恵は浮かびません。でも、
自分なりに懸命に努力して「働いている最中は」、変な妄想
をしている暇もなく、休職に集中しているねりです。
その懸命な集中がも自分自身に良い縁を引き寄せます。
つまり、自分の生活行動が、心を案半させて、良い知恵を心
の奥(良心・仏性)から引き出します。勉強でも、良い点を取る
たるの勉強でしなく、「自分の心を安心させるように勉強する」
という視点に切り替えますと、記憶力が増し、良い参考書に
出会ったり、試験に出るところばかりを勉強していたり、とい
う「良い偶然」が起こります。これはたまたまの偶然ではなく、
すべては自分の「努力」と因果が反英されているだけなのです。
まずは、自分の心が安心するような生活努力をいたしましょう。
これがあれば、あとはすべてに自然に与えられていくのです。
良い知恵も、良い流れもです。今日も自分の心が安心する、生活
を頑張ってみましょう。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「シーザー①」
若い時のシーザーはどんな人だったのかというと、
これが非常に重要なことなのですが、
まず「機嫌のいい人」だった。
終生、機嫌がいい人で
「叱るけれども怒ることはない」と言われています。
たくさんの兵隊を使いますから、
「だめではないか」と叱ることはあります。
しかし怒ることはない。
機嫌はいつも上々。
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今日の諺 「海千山千(うみせんやません)」
【意味】
いろいろな経験を積んで、
世の中のさまざまなことをよく知っていること。
少しずるがしこいような人に使う。
【由来】
海に千年、山に千年すんだヘビは、
竜になるという言い伝えから、
「海に千年山に千年」という言葉が生まれ、
それが短くなったもの。
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断酒日記
薬もお酒もいれませんね。
昨日「X」に投稿した天皇陛下についての内容を
今日は掲載します。
貴方が感動して涙した天皇陛下のビオラの「浜辺の歌」、
私も感動しました。
そんなことを今日はふと思いながら、天皇陛下の尊さを
あらためて感じていました。
以前、「大いなる存在」は、東方の終端の国に天皇という
存在を、「大いなる存在」が天に実存する証明をするために、
存続させていると聞きました。
多くの国では国王がいましたが、そのすべてが継続しません。
間違った平等意識が破壊を呼び、
継続させることができなかったのです。
国王の存続は、その国の民衆に依存することに成ります。
民度が低ければ、努力して゛成功した人間でも攻撃の対象とされます。
この最終形は、全体が努力をしないで文句と不満ばかりを言っている
烏合の衆と化します。
そして国家はバラバラに成っていきます。
天皇は国王ではありません。神官として「大いなる存在」に讃歌する
尊い存在です。
そして「大いなる存在」は、その神官(天皇)を認めて、2500年以上も
一つの男系遺伝子が存続する人間の奇跡を神意として地球上に残しています。
2500年の間には、数えきれないほどの戦乱や策略が繰り返されましたが、
「大いなる存在」の意志が天皇を継続させています。
天皇の存在とは、その奥に「大いなる存在」、「創造主」の実証証明だと言えます。
天皇とは御病気にもなられる普通の人間ですが、その位(お役目)の「継続」
が究極の大神様の実存証明に成ります。
言葉では説明できない「何か大切なもの」
「人類が守らなければならない尊いもの・・」このような片鱗を、
多くの日本人が天皇陛下に対して本能で分かっています。
以前、私の剛柔流空手道の最高師範が空手道の国体の時に天皇陛下のご臨席を賜
り祝辞を述べて頂いた時、「何故か感動と感激で涙が止まらなかった。周りの師範
たちもみんなそうだった。ワシは決してそんな人間ではないと思っていたが・・・
とにかく、その時の感覚は未だ味わったことのない不思議な感覚と感情だった
なあ・・」と、しみじみと仰っていました。
つまり、その時、師範が天皇陛下に無意識に抱いた思いとは、人類が神様を求める
哀愁に通じるものがあったのだと思います。
天皇陛下を通して、まさしく私たちは大神様の大いなる慈愛を感度取っているのですね。
もったいないことですね。
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