「私たちは旅する織人です」
自分の快楽のためには、
他人を苦しめることも平気な人には、
怨念の糸が巻き付(憑)いています。
この怨念の糸からは、
絶対に逃れることは出来ないのです。
(原始仏典 ダンマパダ21章-291番)
釈尊が珍しく、霊的な諸相を説明されています。
自分の快楽(不倫・虐め・盗み・暴力・虚言・抑圧
・差別・蔑視・・・・・・)のために、他人が苦しんで
も平気な人には、怨念の糸が巻き付くと釈尊は仰って
います。
ということは、人間のコノ世の生活とは、誰もが日々の
生活の中で、様々な想念の機織り(はたおり)をしている
と感じます。
自分の想念や行動のすべてが霊的な糸として残り、その日
に出来た見えない霊的な糸が織られて行く感じです。
そして人が死ぬ時とは、日々の生活の中で織った織物が完成
して、最後の糸が切れる感じです。この織物に、他人を苦し
めたり、悲しませたりして出来た糸が混ざりますと、明らか
に異質の糸として目立つわけです。
この織物を死後に持参して、アノ世で自分のいのちが身にま
といます。これはあくまで私的なイメージです。
ただ、誰もがコノ世に機織りをしに来ていると考えますと、
とてもロマンを感じます。コノ世の金持ちも貧乏も、家柄や
社会的地位も一切関係なく、意外な人が美しい織物を織って
いるかも知れません。
自分なりに良心(仏性)に従って真面目に暮らして行けば、
必ず美しい織物を織ることに成ることでしょう。そして仕事は
真面目に織った織物を身にまとって自分が還るべきいのちの故郷へ
帰っていくのでしょう。
さて、それまであっという間ですね。後悔なく頑張りましょう。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「希望達成の方法①」
道は近きにあり
希望を達成する一番の近道は
「思う」ということである。
「学ぶ」ということはよくいわれるが、
「思う」ということを忘れている人は少なくない。
「学びて思わざれば 則ち罔(くら)し」なのであって、
学ぶだけでは足りないのである。
「思う」ということはすぐにできることだが、
実はそこに希望を達成する源がある。
だから「道は近きにあり」なのである。
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今日の諺 「自暴自棄(じぼうじき)」
【意味】
思うようにならなくて、
自分はもうどうなってもいいと
やけくそになること。
「自暴」は自分を傷つけること、
「自棄」は自分を見捨てること。
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断酒日記
おはようございます。