「私のいのちは、無数のいのちに支えられて存在している」
戦争で使われるゾウは、
弓矢に当たっても耐え忍びます。
私たちも、他人からの非難を耐え忍ぼうではないか。
そもそもが生まれ出た人間とは、誰もが色々なサガ(性)
を持つからです。
(原始仏典 ダンマパダ23章-320番)
歴史的には、軍事用に使われた象のことを戦象(せんぞう)と
言い、主にインド、東南アジアや古代ヨーロッパ世界で用いら
れたようです。
突撃して敵を踏み潰すか、あるいは敵の基地を破壊することを
主目的とした兵器として武装した象の集団が使われました。
飼いならされた象は、よく耐えて人の言うことを聞いたようです。
釈尊が生きた時代にも、耐え忍ぶ象の姿がありました。
現代の私たちは、普通の平和な社会の中に居ましても、他人から
の言葉や視線だけでも自分で勝手に心身を傷めるほど響かせてい
る人が多いです。
この項では釈尊が、私たちも戦象を見習って他人からの非難が
あったとしても、受け流して耐えましょうと言われています。
なぜならば、コノ世に生まれ出る人間とは、そもそもが誰もが何
らかの色々な訳有りのサガを「持つからこそ」そのサガを昇華す
るために生まれ出て来るのですから。
無色透明な湖には、生物は存在できません。キレイすぎる、純水
過ぎる水には、逆に生命は生まれないのです。例えば、瀬戸内海
の海産物の収穫量が落ちたのは、あまりにも生活下水が浄化された
上に、山の腐葉土も開発で流れ込まないために、プランクトンの
食料が減ったことが原因だと推測されています。何らかの成分が
海に入るからこそ、それを捕食するプランクトンからの生命の
誕生が始まります。
考えてみますと、成熟した先進国程出生率が下がります。北欧も
そうですし、ドイツなどは日本よりも出生率が低いです。
ドイツの街の綺麗さや、ゴミ分別の徹底は、日本よりも進んでい
ます。精神的に進化するほど逆に人が生まれ出ません。
逆にサガが強いほ動物的で、元気にこの世を闊歩していると
言えそうです。しかし、仏器用では、サガが強いほど転生(この世
に生まれ変わること)が終わらずに、サガが昇華するまで何回も
でもこの世で誕生と死を繰り返すとしています。
誕生をリピート体験するうちに、自分のサガ自己中心的な自我)
を減らして心が浄化されて、繰り返す転生を終えることを仏教
では目的としています。そしてこの世に生まれ出ずに永遠に
別次元の浄土(涅槃)に安住することが、仏教の究極の目的と
言えます。自分のサガ・自我が昇華するほど、この世だとか
あの世だとかの境界が消えて、今の生活の中で心が安住し
ます。
私たちは時間限定で、誰もが短いコノ世に存在しています。
しかも、稀有な恵まれた時代の日本にです。この貴重な短い期間
ぐらいは、どんなことも思い出として耐えて、その中でも楽しみ
ながら永遠へと自分の心を行(逝)かすことを目的としましょう。
このように楽しみながらも、他人のサガの中を耐え忍びながらも、
頑張って生きますと、コノ世に居る中でも浄土を味わうことも
可能なのがコノ世です。
私のいのちは無数のいのちに支えられて存在できています。
他人のサガに振り回されないように仏さまと共に感謝で頑張りましょう。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「自分のテーマを持つ①」
私は英語学者だが、
専門分野にはこだわらず、
経済や政治や歴史などの話をよくする。
だから、人から、
どうしてそういうことにも強くなったのか、
あるいは、どうやったらそういう知識を
身につけることができるのか、
などとよく聞かれる。
そのつど、私はこう答えることにしている。
「それは、自分が持った興味や関心を
抑えなかったからだ」と。
そして、たえずそのことについて
考えてきたからなのだ。
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今日の諺 「一刀両断(いっとうりょうだん)」
【意味】
ためらわないで、すっきりと物事を決めて処理すること。
きっぱりと決めるとき。
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