「だいじょうぶ、だいしょうぶ」
自分自身を、泥穴に落ち込んだゾウを
救い出すことと同じようにして、
自分のするべき仕事に懸命に成ることを楽しみなさい。
自分の心を守るようにしなさい。
自分自身を泥穴から救い出しなさい。
(原始仏典 ダンマパダ23章-327番)
穴に落ち込みますと、もがけばもがくほど
周囲の壁の土が崩れ落ちて、穴が大きく成っていきます。
人間も、自分自身が助かりたい一心で、
社会の中で、周囲の人間関係の中で、
家族の中で、無理にもがくほど周囲の人が離れて行き、
自分一人の空間が広がっていくものです。
まさに泥穴に落ちたゾウのように、自分自身が成ります。
では、どうすれば良いのでしょうか?
この項で釈尊は、明確に答えておられます。
⑴まず、自分の仕事を一生懸命にして、
それを苦痛に思わずにイヤイヤせずに、
「その仕事の中でも」楽しむ努力をしなさい。
⑵仕事の中で、生活で生きる中で、
どんなに辛いことや嫌なことが有っても、
それで自分の心までは傷付けない、
響かせない、という決意をしなさい。
⑶そして、自分を自分自身で救い出す覚悟を持ちなさい。
他人に救われることを待っていてはダメなのです。
大きなゾウは、自分自身で泥穴から
這い上がることでしか「助からないのです」。
自分自身で這い出す決意を持ちなさい。
このように釈尊は示しています。
誰もが、自分で自分自身を救い出そうとしているのが、
今の人生の意味であり霊的な目的なのです。
私たちは、期間限定でコノ世に生まれ出て、
それぞれの自分の環境の中で、
自分という「今回」だけの存在(自我)を、
「永遠である」本当の自分(仏性・良心)が発露して
救えるのか否かの冒険ゲームをしている最中です。
このゲームのような魂の旅は、
自我(色々なサガ・性を持つ自分)を
自分の良心が救い出せるまで繰り返し再現します。
他人の幸福を素直に思える気持ちこそが、
自分の中の神様の思いです。
自分に内在するの仏さま(良心)を
大きく出せるまで、この旅は継続します。
自分自身を本当に救えるのは、
自分の良心(仏性)だけであることを知って置きましょう。
今日も、大穴に落ちた自分を救い出しましょう。
自分自身を本当の意味で
真・深から救えるのは、あなた御自身だけです。
阿弥陀さんはいつでも「だいじょうぶ だいじょうぶ」
と力強い安心の声をかけて下さってます。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「心眼を開く①」
「心眼を開く」という言葉がある。
心眼が明らかになると、
「居ながらにして勝ちを千里の外に決める」
ような感じが出てくると野間清治はいう。
たとえば、わざわざ外国まで行っても、
その上っ面しか見ることのできない人がいる。
それは心眼を開いていないからです。
心眼を開けば、わざわざ外国に行かなくても、
その国のことが手にとるように
わかるようになる。
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今日の諺 「茫然自失(ぼうぜんじしつ)」
【意味】
あっけにとられて我を忘れ、
何も考えられず、
ぽかんとしてしまうこと。
「茫然」はぼんやりしてしまうこと、
「自失」は我を忘れること。
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