「日々 少しでも仏さまの真似をする」
自分自身に長く潜在的に潜んでいる
悪いサガ(性・思いの癖・ワレヨシ・・・・)の「思い」が消え去り、
悪い「行為」が根本的に抜き取るように行われなくなったならば、
このような人は、コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変
わり)を終わらせます。
それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ます。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.14)
この場合の、悪いサガ、悪いサガの思いの癖とは、他人を害する性、
他人を虐めるような思い、他人を攻撃したり見下したい自己中心的
なサガを指します。
釈尊が言われるには、このような「悪いサガ」とは今生1回だけ
の人生で構築されるものでは決して無くて、
* 長い長い輪廻(生まれ変わり)を通して引きずって「来た」
モノであるということです。
このことを昔から日本では「三つ子の魂百までも」という表現で指摘
しています。その人の悪いサガは生まれ持ってきたとも言えます。
つまり人間とは、「同じようなことを何度も繰り返すパターン」を誰
もが持ちます。これはその人のいのちが持つ修正とも言えます。
やはり大いなる存在が、個々のいのちを成長させる為に初期設定した、
* 自分がして来た習慣(行為・仕事・勉強・思い方・・・)は、
今生だけで完全消去するのでは無くて、引き続き来生も潜在意識で
継続させて、「自分がした事をより進化させる」という法則の存在を
感じます。
つまりこれは、仏法真理を何も知らないと、良い習慣も悪い習慣も
来世に持ち越し、より強化されていく、と言えます。
つまり、転生を重ねるうちに、良いサガの者は善人としての進化をし、
悪いサガの裳のはり悪人として自己中心的になり、他人ヘの攻撃性が
増す。と言えそうです。
そして次に、釈尊は「思い」の改善だけではダメだとしています。
これが今生において、現実の「行為」として悪いサガの行いが消え去る
ことが、輪廻(生まれ変わり)を外れる必須条件だとしています。
* 「行為>思い」だと霊的に言えます。やはりコノ世で自分が実際に
する行為こそが、その善悪の両方がすべて因果として残って行くわけです。
今日も「なんまんだぶつ」。生かされている感謝のお念仏を称えなが、
少しでも仏さまの真似をさせていただきましょう。
仏さまから少しでも智慧をいただいて、自分の思い、行為、行動を冷静に
静観するだけでも、「よくやってるよ」と、仏さまは微笑んで下さいます。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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