「今の仕合せの先にあるもの」
たくさんの牛を飼う、ある信仰者は言いました。
「私は、今日もご飯の準備を整え、牛の乳搾りも終えました。
大きな河の側に、家族と一緒に住んでいます。
私が住む家の屋根は立派に葺(ふ)かれ、
内部には暖かい「火」が灯されています。
先祖を祭る献「火」も供物も絶やしません。
さあ神様、もし雨を降らせたいならば、いつでも降らして
頂いて結構です」
(原始仏典 スッタニパータ 第1章2節-No.18)
この項で釈尊は、牛飼いのまじめな信仰者を否定しているの
では決してありません。
ただ、釈尊の教えの全て、仏教の根幹は一言で言いますと、
「何ごとにも執着するな」なのです。
これを「だから何もしなくて良い」と誤解してはダメです。
* まじめに全力で働きなさい。何にでも最善を尽くしなさい。
* でも、その結果にこだわっては生けない。
その結果・成果に執着しては生けない。という意味なのです。
しかし現実は物事の結果・答えに執着することが、すべての原因
の実際になっています。
例えば、結婚できない、売上の結果が出ない、誰もが、その結果
だけを求め、他と比較して、悲しみ、悩み、苦しみます。
私も経営者として、会社を維持するため、社員やその家族の生活
を守るために、やはり利益にこだわります。
しかし、真実は、それへの努力過程なのです。どれほど問題意識を
持ち、課題克服のための改善努力を継続したのか?そこなのです。
現代でも、結果にこだわる・執着する人は、表面的には成功して
も最後は家庭が不幸になる人が多いいです。周囲から人が離れ、
結局はお客様も離れます。
長期で子々孫々も成功する人は、結果よりも、今の過程をとにかく
大切にします。結果が出たら、有難い。ダメな時も、至らぬ点を
教えてもらって有難い。有難い事ばかりじゃと、手を抜かずに継続
精進します。それはやってる過程・仕事に喜びがあるからです。
結果に執着してやってる人は、数字や結果に一喜一憂します、
くそぉっ!右往左往します。若い時はめちゃそうだった。
しかし、仕事も、人生も人間万事塞翁が午だと体験していけば、
諸行無常だと一生懸命今を頑張っておれば、まあ、なるように
導かれていくものです。
要するに、この項で示されていますことは、
* まじめに働き、色々なモノを手にすることは良いことです。
でも、それに執着しては生けない。
誰もが、いつでも、一人裸でアノ世に行くからです。
* だから、ソレに執着せずに楽しんで、感謝をすることが
大切なのですよ、ということでした。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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