
「何でもほどほどが良い」
人の欲望には、多種様々な対象
(他人、品物、金銭、地位、性交、食品、博打・・・・)
が有ります。
それらへの欲望は、甘い快楽感を
自分にもたらしながら、
色々な形で自我(ワレヨシ)の欲望の火を喚起します。
自我の欲望の火は、
巨大化するほどに自分の心を乱し、
後で後悔する事や、不幸を自分にもたらします。
このことをよく知って置きなさい。
どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、
自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.50)
この法則を自分が知って置いた上で、自分の好みの欲望を楽
しみますと、やはりブレーキが掛かるものです。
その欲望の為に、自分の生活を壊すまで進むことはありません。
* 欲望は、満たしても終わらない。より大きくなる。
そういうものだ。
という認識の上で、
自分なりに欲望を楽しむことが大切です。
* 欲望に呑まれては生けないのです。
欲望に呑まれることは、自分が自分自身の欲望に負けたことに
成ります。
では、欲望を満たそうとすることがムダなことならば、最初から
一切の欲望を我慢すれば、人はどうなるのでしょうか?
自分は我慢した、という「飢餓感の欲望」だけが増大するのも
人間なのです。
人の心とは、何と難しいことなのでしょうか。
これに対する釈尊の答えは、
* 中道(ちゅうどう・真ん中)を心掛けなさい。
* 何でもほどほどで良い。
ということを示されています。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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