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11/13(木)「娯楽の時代に心を見失わない」

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「娯楽の時代に心を見失わない」

世間が夢中になる様々な娯楽や競技(スポーツ)が、

人生のすべてだと思うのは止めなさい。

そのようなことに関心を持つよりも、

自分の心身を着飾って

他人に見せたい気持ちから離れなさい。

自分自身に対して、ウソの無い言葉だけを話す努力を

しなさい。そうした上で、どんな交わり、集団の中に

自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.59)

 

「娯楽の時代に、心を見失わないために」

スマホを開けば、動画が流れ、

ゲームが鳴り、ニュースが更新される。

私たちは、

かつてないほど多くの“娯楽”に囲まれています。

退屈を感じる暇もないほど、

世界は私たちを楽しませようとしてくれます。

しかし、

ふと夜中に画面を閉じたあと、

「今日、自分は本当に何をしていたんだろう?」

そんな空虚さに気づくことはないでしょうか。

釈尊は、

こう問いかけています。

「あなたは、何度生まれ変わっても、

同じように娯楽に逃げ、同じように虚しさを味わうのですか?」

娯楽そのものは悪ではありません。

疲れた心を癒し、

笑い合うことも人生の大切な一部です。

けれど、娯楽に“逃げる”とき、

私たちは自分の心と向き合う機会を失ってしまう。

「楽しい」と

「安心したい」は違うのです。

釈尊が伝えたかったのは、

「楽しむな」という戒めではなく、

「楽しみの中に、目覚めを見いだせ」という智慧です。

たとえば、

ゲームをするなら、

「自分はなぜ勝ちたいのか?」を観察してみる。

SNSを見るなら、

「なぜ他人と比べてしまうのか?」を感じてみる。

音楽を聴くなら、

「なぜこの曲に心が動くのか?」を味わってみる。

それが、

“気づきの娯楽”になります。

そこから、

心の奥の「本当の自分」、良心・内在の仏さまへと

つながっていけるのです。

  • 娯楽は逃げ場ではなく、鏡にする。

  • 自分を飾るより、自分を観る勇気を持つ。

  • 嘘のない言葉を、まず自分の心に向けて話す。

現代は「情報と刺激の洪水」の時代。

だからこそ、

静かに自分を見つめる時間が“贅沢”になっています。

その贅沢を、どうか自分に許してください。

そして、こう言ってあげてください。

「私はもう、娯楽に逃げない。

でも、娯楽を通して自分を知る人間になる。」

それこそが、

現代に生きる釈尊の「中道」なのです。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

参考文献【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一

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