
人は、
本当はもう自由で、恵まれて、生かされています。
ただ「当たり前」になりすぎて、気付けなくなるだけです。
毎日の空気も、身体も、家族も、命も、
本当は“すでに与えられている”ものなのに、
私たちは「ないもの」ばかりを探してしまう。
そして勝手に比べて、勝手に不幸だと思い込み、
本来の幸せから遠ざかっていくのです。
悟りとは、信心とは、特別な境地ではありません。
「すでに満たされていた」と気づくただの“気付き”です。
仕事で縛られているときは気付きにくいけれど、
休みの日に外の空気を吸った瞬間、
その“自由”がどれほど尊いかハッとします。
仕合せとは、探すものではなく、思い出すもの。
「すでに持っていた」と気付く瞬間、
人は誰でも、今ここに浄土(満たされている涅槃)を
感じられます。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章4節-No.79・私的な訳)