
【今日の気づきの法話】
原始仏典を読む中で、私が強く感じたことを書きます。
原典の解説ではなく、日々の生活の中で感じた私的な
「気づきのメモ」です。
*「与える行為も相手をよく見てから」*
原始仏典には、
「心が清く、節度を持ち、
まじめに生きる人に出会ったなら、
その人への施しは福となる」
という内容が説かれています。
ここでの“福”とは、
気持ちよく循環するご縁のことを指します。
● なぜ相手を選ぶ必要があるのか
釈尊は、誤った相手に与えると自他ともに苦を招く、
という主旨の警鐘も残しています。
現代語で言えば、
●不誠実な振る舞いをする人
●自分さえよければ良いという態度の人
●「先生」や「覚者」を名乗りながら利を求める人
こうした相手に与えると、
善意が “次の誰かの被害” を生む手助けに
なりかねません。
それは、善い循環ではなく、
苦の連鎖を助長してしまうからです。
■ 現代に置き換えると
●真面目に働く
● 誠実で、裏表がない
● 静かに人を助けている
● 感謝を忘れない
このような人に向けた応援や施しは、
自然に自分の運と心に返ってきます。
逆に、
●言葉は立派でも、行いが伴わない
● 肩書で威張る
● 金銭や身体を求める“自称スピリチュアル指導者”
こうした相手との関わりは、
心の静けさと未来の流れを濁らせます。
■ 結論
与えるなら、感謝を実践し、誠実に生きる人へ。
与えないなら、自分本位で他者を利用する人へ。
この小さな区別が、
あなたの未来の流れを静かに守り、
幸運の循環を育てていきます。