
【今日の気づきの法話】
原始仏典を読む中で、私が強く感じたことを書きます。
原典の解説ではなく、日々の生活の中で感じた私的な
「気づきのメモ」です。
「一日一生 ― 明るく“死”を思うと、人生は軽やかになる」
私たちは皆、例外なくいつかこの肉体を手放します。
それなのにコノ世の人間は、アノ世に持っていけないものを
まるで永遠のように必死で奪い合っています。
しかし、もし私たちが
「死はいつ来てもおかしくない
という事実を“明るく、静かに”思い出すことができたなら、
心は不思議と軽くなります。
人は死を暗く考えるから恐れ、避け、蓋をします。
けれど、死を「人生の自然な流れ」として捉えると、
そこに恐怖ではなく、生きる方向性が見えてきます。
死を忘れない心は、私たちに3つの贈り物をくれます。
●争わなくなる。
どうでもいい衝突が、自分のエネルギーを奪うだけだと分かるから。
●人に優しくなれる。
相手も自分と同じ“一日一生”の中にいる、大切な存在だと気づくから。
●残された時間を大事に使える。
「いつか」ではなく、今、できることをする人へと変わるから。
弱くても良い。間違っても良い。
完璧を目指す必要など、どこにもありません。
ただ、
「人は必ず終わる」
その明るい自覚がある人は、自然とこう思うようになります。
●小さな後悔を今日積み残さないでおこう。
誰かの心を傷つけずに終われる一日にしよう。
●自分の良心に恥じない生き方に、少しでも近づこう。
太陽は朝に生まれ、夕方に沈みます。
毎日が一つの人生であり、
私たちはその「一日一生」の中で繰り返し生まれ、
そして静かに終わっていきます。
心は永遠ですがこの身体は先祖から預かった“期限つきの器(うつわ)”です。
その有限さを知っている人ほど、
一瞬一瞬を丁寧に使い、人生の本質に近づきます。
そして不思議なことに、
こうした心の姿勢こそが、大きな幸運とご縁を引き寄せるのです。
死を忘れないことは、恐れることではありません。
「今日という一日を、美しく終えるための智慧」なのです。